生きづらさを生む思考のクセ(パート2)

典型的な「認知の歪み」パート2では、
「拡大視と縮小視」
「感情による決めつけ」
「べき思考」「レッテル貼り」
「自己関連づけ」の5つを取り上げます。

実際の例を交えながら、
一つひとつ詳しく解説していきます。

これらは、
前回ご紹介したものと同じように、
生きづらさの原因になることが
少なくありません。

心を少しでも軽くし、
自分らしい生き方を
取り戻すためのヒントとして、
読んでいただければ幸いです。

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拡大視と縮小視 – 自分の失敗は大げさに、成功は小さく見積もる

拡大視と縮小視とは、
自分に関する
ネガティブな出来事や短所を、
実際以上に
大きな問題として受け止める一方で、
ポジティブな出来事や長所は
過小評価してしまう思考パターンです。

さらに、
自分と他者を評価するときの基準が
極端に異なるのも特徴です。

他者の失敗や欠点は
「たいしたことない」
と軽く受け流すのに対し、
成功や長所は必要以上に
高く評価する傾向があります。

たとえば、ある大学生はゼミ発表で
一つの質問に答えられませんでした。

他の質問には
的確に答えられたにもかかわらず、
彼は「これで教授や同期は
僕を無能だと思うだろう。
この失敗は致命的だ」と考え、
数日間落ち込み続けました。

しかし、同じゼミで
友人が別の発表で
答えられなかったときには、
「まあ、そういうこともあるよね。
大した問題じゃない」
と軽く受け止めたのです。

つまり、同じ出来事でも
自分のことは大問題に見え、
他人のことは
些細に思えてしまうのです。

職場でも
同じようなことが起こります。

営業部のある職員は、
今月の売上が目標の85%だったとき、
「大幅に未達成だ。
上司や同僚からの信頼を完全に失った」
と深刻に受け止めました。

しかし、隣の席の後輩が
同じ85%だったときには、
「経験が少ないのに、
なかなかの成績だ。
来月はもっと良くなるだろう」
と高く評価したのです。

この認知の歪みは、
自分に対しては完璧を求めながら、
他者には寛容になるという
不公平な評価基準を持っています。

そのため、
自分は常に劣っているように感じ、
自己肯定感が下がり、
対人関係にも
不安を抱きやすくなります。

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感情による決めつけ – 感じたことをそのまま事実と信じる

感情による決めつけとは、
自分が抱いた感情を
そのまま事実だとみなしてしまう
思考の歪みです。

客観的な根拠がない場合でも、
「そう感じるのだから、
きっと事実に違いない」
と思い込んでしまいます。

たとえば、
「自分は嫌われている気がする」
と感じたとき、
「こんなふうに感じるのだから、
やはりあの人に嫌われているに違いない」
と思い込んでしまうことがあります。

人は感情の生き物であり、
それぞれの状況や事情によって
抱く感情もさまざまです。

それにもかかわらず、
「自分がそう感じたから」
という理由だけで
相手の気持ちを断定するのは、
適切な判断とは言えないでしょう。

また、
ある人は起業を考えていました。

新しいビジネスプランを
練っている最中に不安が強まり、
「こんなに不安になるということは、
このビジネスは失敗するに違いない。
だからやめた方がいい」
と考えてしまいました。

しかし、不安という感情は
新しい挑戦をするときに
自然に生じるものであり、
その事業の成否と
直接関係はないでしょう。

実際、そのビジネスプランは
客観的に見ても
十分に実現可能性がありました。

この認知の歪みの危険な点は、
感情と事実を
混同してしまうところにあります。

感情は私たちの内面を
映し出すものですが、
必ずしも現実を
正確に反映するわけではありません。

したがって、
現実からかけ離れた
誤った判断をしてしまうことも
少なくないのです。

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べき思考 – 「〜すべき」に縛られる考え方

べき思考とは、
「〜すべきだ」
「〜でなければならない」
といった絶対的なルールを、
自分や他人に
課してしまう考え方です。

状況や個々の事情を考慮せず、
「例外なくこうあるべきだ」という
硬直した基準を
当てはめようとします。

そのため、
現実が思い通りに進まないと、
強い不満や罪悪感を
抱きやすくなるのです。

たとえば、ある教師は
「完璧な授業をすべきだ」
「生徒全員から好かれるべきだ」
という強い信念を持っていました。

その結果、わずかなミスでも
激しく自分を責め、
一人でも好意を示さない生徒がいると
深く傷ついてしまいます。

完璧を求めるあまり
授業準備に過度な時間を費やし、
プライベートの時間が
ほとんど失われてしまったのです。

家庭でも、べき思考は
大きな影響を及ぼします。

ある主婦は
「家事は完璧にこなすべきだ」
「夫を常に支えるべきだ」と考え、
自分の時間や欲求を
すべて後回しにして
家事と夫のサポートに全力を注ぎました。

しかし、その結果、
自分自身が心身ともに
疲れ果ててしまったのです。

べき思考の問題点は、
現実の多様さや複雑さを
受け入れにくいことにあります。

人間関係や社会生活では、
その場の状況に応じて
柔軟に対応することが
求められるでしょう。

それにもかかわらず、
べき思考では
一つの基準で
物事を判断しようとするため、
結果として適応的でない行動や感情を
生み出してしまうのです。

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レッテル貼り – 1~2回の失敗で自分や他人を決めつける

レッテル貼りとは、1~2回の失敗や
一つの側面だけを取り上げ、
それを人物全体の評価へと
結びつけてしまう思考パターンです。

対象は自分自身の場合もあれば、
他人の場合もあります。

この思考にとらわれると、
自分や相手が持つ
豊かな個性や可能性を見落とし、
固定的なイメージに
縛られてしまうでしょう。

たとえば、
たった一度遅刻した同僚に対して
「あの人はルーズな人だ」
と決めつけてしまうと、
その後はその同僚の行動すべてが
だらしなく見えてしまうかもしれません。

本当は偶然の出来事に
すぎなかったとしても、
一度貼られたレッテルによって、
相手を見る目が歪んでしまうのです。

また、就職活動中のある大学生は、
2社続けて不採用通知を受けたことで、
「自分は負け組だ」「社会不適合者だ」
というレッテルを
自分に貼ってしまいました。

このようなレッテルが一度貼られると、
自分の長所や可能性を
見失うことも少なくありません。

実際、彼には高い語学力があり、
ボランティア活動での経験も豊富で、
創作活動においても
才能を発揮していました。

しかし「負け組」という思い込みが、
これらすべての強みを
覆い隠してしまったのです。

レッテル貼りの危険性は、
人が本来持つ多様性や
成長の可能性を
否定してしまうことにあります。

人間は多面的で複雑な存在であり、
時間とともに変化するものです。

それにもかかわらず、
一度貼られたレッテルは
固定的なイメージ以外の情報を見えなくし、
本人から意欲や自信を奪い、
可能性を狭めてしまうのです。

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自己関連づけ – 何でも「自分のせい」と思い込む

自己関連づけとは、
良くない出来事の原因を
必要以上に自分と結びつけて
考えてしまう思考パターンです。

本来は自分のコントロールが
及ばないことまで
「自分のせいかもしれない」と感じ、
不必要な罪悪感や責任感を
抱え込んでしまいます。

あるチームリーダーは、
メンバーの一人が
転職することになったとき、
「きっと私のリーダーシップが
悪かったから辞めることにしたのだ」
と考えました。

実際には、そのメンバーは
家族の事情で
地方へ転居する必要があったのですが、
リーダーは客観的な事実よりも
自分の責任を
重く受け止めてしまったのです。

その結果、本来なら
苦しむ必要のないことにまで
心を悩ませてしまいました。

また、友人から
「今日は都合が悪くて会えない」
と連絡を受けただけで、
「自分が何か失礼なことをして
嫌われたのではないか」
と落ち込んでしまうケースもあります。

実際には、相手の都合で
予定が変更になっただけなのに、
何でも自分の落ち度と
結びつけて考えてしまうのです。

この認知の歪みは、責任感が強く、
他者への配慮が深い人ほど
陥りやすい傾向があります。

自分の責任ではないことまで
背負い込み、不必要に
心へ負担をかけてしまう結果、
精神的に自分を追い詰め、
心を病んでしまう危険があるのです。

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おわりに

この記事では、
典型的な「認知の歪み」パート2として、
「拡大視と縮小視」
「感情による決めつけ」
「べき思考」「レッテル貼り」
「自己関連づけ」の5つを取り上げ、
それぞれの特徴や具体例を見てきました。

認知の歪みは、
誰の心にも生じ得る
思考の落とし穴です。

こうしたクセに気づかずにいると、
自分で自分を追い込み、
必要以上にストレスを
抱えてしまうでしょう。

しかし、認知の歪みは
「気づくこと」さえできれば、
少しずつ緩めていくことが可能です。

不快な感情に襲われたときには、
いったん立ち止まり、
「今、自分は何を考えているのだろう?」
「その考えは
事実に基づいているだろうか?」
「もっと別の解釈はできないだろうか?」
と自問してみましょう。

長年の習慣になっている場合、
すぐに変えるのは
難しいかもしれませんが、
意識して繰り返すことで、
少しずつ変化が訪れるでしょう。

認知の歪みを
完全になくすことはできなくても、
緩めることは可能です。

自分の偏った思考に気づき、
それが適切かどうか、
別の解釈はないかを
考える習慣を持つだけでも、
確実に和らげていくことが
できるでしょう。

適切ではない解釈に気づき、
別の見方を考える余裕が生まれれば、
心は少しずつ軽くなっていきます。

あなたの毎日が、
より穏やかで心地よいものへと
変わっていきますように。