今回は、
自分を駆り立てる
内なる声から解放され、
心を軽やかにするための方法に
焦点を当ててみます。
自分自身を駆り立てる声によって
苦しみや悩みを抱えてしまう方々への
メッセージです。
そうした声が
どこから生じるのかを理解し、
どのようにして
その声から自由になるかについて
お話ししたいと思います。
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心の奥底で
自分を駆り立てる声が存在し、
その声のせいで、
自分に対して肯定的になれなかったり、
嫌なことを断るのが難しかったり、
本心を正直に伝えられなかったり、
時間に追われてストレスを感じたり、
過度に無理をしてしまうことも
あるでしょう。
内なる声に駆り立てられて、
無理をして苦痛を感じたり、
自分を幸せから遠ざけてしまうことも
珍しくありません。
嫌なことを断れるようになれば、
人間関係もずっと楽になるでしょう。
自分の感情を素直に表現し、
それを相手に伝えられれば、
無理なく、相手にも
自分を理解してもらえるかもしれません。
時間に追われることがなければ、
精神的な余裕が生まれ、
今この瞬間を楽しむことができるでしょう。
疲れているときに罪悪感なく
休息を取れれば、
体を壊すほど
過労することもなくなるでしょう。
どの場合でも、
理想的にはそうあるべきですが、
心の中で自分を強く駆り立てる声が邪魔をして、
実際にはそうできないのが実情です。
このように自分を駆り立てる
内なる声に支配されている場合、
この声を「ドライバー」と呼びます。
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私たちの心の奥に鳴り響く
自分を駆り立てる声の出所を探してみれば、
ドライバーは幾つかの形がありますが、
これら全てが根を下ろす源は同じです。
それは、幼い頃に親から聞いた言葉や、
親の接し方によるものです。
こう言えば、
親を非難しているかのように
聞こえるかもしれませんが、
そうではありません。
親が何気なく発した言葉や、
日常の接し方は、
特に悪意があったわけではなく、
子どもを傷つける意図が
あったわけでもありません。
親も一人の人間ですから、
不完全な存在にすぎません。
ときには言うべきでないことを
子供に言ってしまうことも
あるでしょう。
また、生活を円滑に回すためには、
子どもを急かすこともあるでしょう。
親の善意からの言葉が、思わぬ形で
子どもに悪影響を与えることも
あるのです。
小さな子どもは、
生活の基本的なニーズを
親に全て依存しています。
そのため、親から拒絶されたり、
見捨てられたりすると、
それは自分の安全が脅かされるほど
恐怖を感じることになります。
生存が脅かされると感じるほどなら、
自分の欲求や感情を
抑え込んでしまうこともあるのです。
親自身が意図していなくても、
子どもにとっては
親の言葉や態度が大きな脅威になり得ます。
その結果、
どうすれば親に気に入られるか、
どのように自分が振る舞えばよいのかを
心の中で決め、
親に順応するようになります。
この背景から、子どもの頃に
心の中で決めた親への順応方法が、
大人になっても
心の中で自分を駆り立てる声となり、
個人の行動を左右することになるのです。
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気乗りしないのに断ることができず、
自分の本心を抑え込んで
無理をしてしまう人がいます。
断ることで、相手を失望させたり、
不機嫌にさせたりするのではないか
と心配し、相手の感情を
自分のものより優先してしまいます。
結果として、自分は我慢することになり、
辛い結果を招いてしまうのです。
このような人は、
断れないことにより、自己犠牲を払い、
自分らしい人生を
歩めなくなる恐れがあります。
自己の欲求を後回しにしてしまうため、
人間関係においても
ストレスを溜めやすくなるのです。
では、なぜ断れないのでしょうか?
それは、その人の心の奥深くに
「相手を喜ばせなさい」という
強い内なる声が存在するからです。
幼い頃、親の期待に応えられなかったときに、
親が失望する様子を
何度も目にしているかもしれません。
また、親の期待を裏切ったときに
親が不機嫌になる経験を
繰り返ししている可能性もあります。
親が不機嫌になることは、
子どもにとって
非常に大きな脅威となります。
そのため、親を喜ばせること、
親の期待を裏切らないようにすることが、
深く根付くようになるのです。
このようにして、子どもは
無意識のうちに親を喜ばせることを
重んじるように育ちます。
そして、
親を喜ばせることが習慣化した人は、
大人になってからも、
親以外の人々に対しても、
同じように相手を喜ばせようとする行動を
無意識に取るようになるのです。
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自分のミスや失敗に対して
非常に敏感で、
自分なりに努力したにもかかわらず、
反省点ばかりが目についてしまう人がいます。
たとえば、会社のプレゼンで
出だしの言葉を忘れてしまい、
一時的に詰まってしまったとします。
その後は無事に内容を伝えられたため、
実際には問題ないはずですが、
はじめのつまずきが気になってしまい、
仕事を終えてからも
後悔し続けてしまいます。
どうしてこんなに
自分を責めてしまうのでしょうか?
これは、「完璧でなければならない」
という内なる声が影響しています。
幼い頃に「どうしてできなかったの?」
と親から頻繁に問われたり、
「きちんとやりなさい」「ミスをしないように」
と繰り返し指導されたりすると、
失敗は許されないこと、
という信念を持つようになります。
また、失敗した際に
親が大きく失望する様子を見せると、
その反応は子どもにとって非常に辛く、
完璧に行動しなければならない
と感じさせられ、自分の不完全さを
受け入れることが難しくなります。
冷静に考えれば、ミスや失敗は
意図的なものではなく、
厳しく責められるべきことではないでしょう。
また、全てを完璧にこなすことは
現実的でもありません。
しかし、このような経験があると、
全てを完璧にしなければという心理が働き、
完璧主義に陥り、結果として
自分を苦しめることになります。
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時間に常に追われている
と感じる人たちは、
いかなるときも迅速に行動し、
速やかに結果を求める傾向があります。
待たされることに対して不快感を感じ、
物事が計画通りに進まないときには
イライラし、その結果、
周囲の人々にそのストレスを
ぶつけてしまうこともあります。
これが原因で、人間関係に
悪影響を及ぼすことも
少なくありません。
では、なぜ時間に追い立てられる感覚に
なるのでしょうか?
これは、「急いで!」という内なる声が
心の奥底に存在するためです。
幼い頃から、「早くしなさい!」
「ぐずぐずしないで早くやりなさい!」
という言葉を
親から繰り返し聞かされてきたのです。
確かに、日々の生活を
スムーズに回してゆくためには、
親が子どもに対して
そうした言葉をかけることも
あるでしょう。
しかし、絶えず「早くしなさい」
と促されることで、
時間に追われる感覚に
常に駆り立てられる人になってしまうことも
珍しくありません。
このような人は、
気が短く、せっかちで、
先のこと、先のことを考えて、
今この瞬間をゆっくりと
楽しむことができないです。
そのため、人生のプロセスを
十分味わうこともできずに、
豊かな時間を過ごせなくなるのです。
行動が速いことは
一見すると利点に見えますが、
ストレスが溜まりやすく、
心疾患などの健康面でのリスクも
高まるというデメリットも
持ち合わせているのが現実です。
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人は様々な感情を抱え、
ときにはネガティブな感情に
襲われることもあります。
しかし、寂しさや悲しみ、
不安などのネガティブ感情を
外に出すことが難しく、
自分の弱みを隠してしまう人がいます。
なぜそうなのでしょうか?
その理由は、「強くなければ」
という内なる声が
心の中に存在するからです。
幼い頃、泣いているときに
「いつまでも泣いていないで
泣き止みなさい!」と親から言われたり、
恐怖を感じているときに
「大丈夫、怖くない、怖くない、」と慰められたり、
不安を感じているときに
「心配ない、大丈夫、大丈夫」
と励まされた経験があるのでしょう。
これらの言葉は
親が子どもを励ますために
かけたものですが、意図せず
子どもは自分の弱さが
受け入れられない
と感じることがあるのです。
その結果、弱い自分を否定し、
強さを求めるように
なってしまいます。
このような人は、
自分の感情をうまく表現することが
難しくなり、代わりに
自分の正しさを主張することに
傾くことが多いです。
そして、この傾向により
相手との対立を引き起こすことも
珍しくありません。
このような人たちが
互いに「どちらが正しいか」を争う
正義対正義の戦いが
始まることもあるのです。
本来であれば、誰もが抱く
ネガティブな感情を素直に受け入れ、
表現することができれば
問題はないはずです。
しかし、それができずに
正しさを主張することで、
人間関係が悪化してしまうこともあり、
非常に残念なことだと言えるでしょう。
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疲れているにもかかわらず、
休むことができず、
過労に陥る人がいます。
ひどい場合には、
病気になるまで休むことなく働き続け、
最終的には
身体が動かなくなってしまうことも。
体調を崩しても、
いつも通りのペースを崩さずに、
適切に休むことができないのは、
休むことへの罪悪感があるからです。
仕事が辛くても、転職をせずに耐え忍んで
ブラック企業での勤務を続ける人もいます。
では、なぜ
そうなってしまうのでしょうか?
その背景には、「一生懸命やれ」という内なる声が
心に影響しているからです。
幼い頃、休んでいる自分や
ぼーっとしている自分を
親に認めてもらえなかった経験、
あるいは「逃げてはいけない」と言われ、
逃げることが許されなかった
という経験を持つからでしょう。
これらの経験から、何に対しても
全力を尽くさずにはいられず、
休息を取ることを
自ら許可できない人になります。
いつも身も心も緊張状態にあり、
目標を達成しても「まだ足りない」
と自己を追い込み、
次なる目標に向かってしまいます。
これは向上心があるとも取れますが、
一方で、自分に過度の負荷を
かけ続けることで、心身の健康を害し、
自らを不利な方向に導くリスクもあるのです。
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まずは自分の中にある
ドライバーに気づくことです。
自覚するだけでも、
少しは解放されるでしょう。
自覚した後は、そのドライバーを
否定的なものとして取り除くのではなく、
どのような経緯で
そのドライバーを身につけたのかを
しっかり理解し、
それに感謝することが望ましいです。
なぜなら、そのドライバーは幼い頃、
自分を保護するために
必死で獲得したものだからです。
そのドライバーが
あなたを守ってくれたので、
感謝の気持ちを持ってもよいでしょう。
次に、自分自身に
アロワー(許可証)を出すことが重要です。
「楽しんでもいいんだよ」
「力を抜いてもいいんだよ」
「完璧でなくてもいいんだよ」
「自分の感情を表に出してもいいんだよ」
「弱さを見せてもいいんだよ」
「他人を常に喜ばせる必要はないんだよ」
「嫌なことは断ってもいいんだよ」
「常に効率を追求しなくてもいいんだよ」
「ゆっくり進めてもいいんだよ」といった言葉を
自分にかけてあげましょう。
これまで「してはいけない」
とされてきたことの反対を実践するので、
はじめは違和感を覚えるかもしれません。
しかし、これを続けることで徐々に慣れ、
心の中のドライバーの声が弱まり、
自分を駆り立てる言葉も
少なくなっていくでしょう。
大切なのは、長い目で見て、
辛抱強く自分に寛容の言葉を
かけ続けることです。
また、ときには過去に従っていた
ドライバーの言葉が
心に戻ってくることもありますが、
それについては気にする必要はありません。
場合によっては、「アロワー」の言葉を
受け入れるのが難しいときもあるでしょう。
そうしたときには、無理に自分に
許可の言葉をかける必要はありません。
なぜなら、アロワーは強制ではないからです。
たとえば、
「自分を優先してもいいんだ」と自分に言っても、
実際にはそれが難しいと
感じるときもあるでしょう。
そんなときには、
「そうできなくても大丈夫だよ」と柔軟に、
そして優しく自分を受け入れる姿勢が
大切です。
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この記事では、私たちが日々感じる内なる声、
自分を駆り立てる「ドライバー」の正体と、
それがどこから来たのかに焦点を当てました。
「相手を喜ばせろ!」「完全であれ!」
「急げ!」「強くあれ!」「一生懸命やれ!」
といったドライバーは、
幼少期の経験から生じています。
これらのドライバーに振り回されず、
自分自身を解放するためには、
まずその存在に気づき、
次に自分自身に許可証(アロワー)を
与えることが効果的です。
「楽しんでもいいんだよ」
「力を抜いてもいいんだよ」
「完璧にできなくてもいいんだよ」
と自分に優しい言葉をかけることで、
徐々に心の重荷が軽くなり、
楽になってゆくことでしょう。
自分の内なる声に支配されなくなれば、
心も体もリラックスし、
より豊かで満たされた人生を
歩みやすくなります。
もしもあなたが
自分の心の声に縛られていると感じるなら、
自分自身に許可を出し、
自分を解放してあげましょう!
そうすることで、
自分らしく生きやすくなり、
真の幸福を手に入れることも
可能になるでしょう。