現代社会で求められながらも、
誤解されているスキルの一つが
「人を育てる力」です。
カリスマ性や専門知識が
人材育成の鍵だと思われがちですが、
歴史を振り返ると
意外な事実が見えてきます。
この記事では、歴史を通して、
真の育成力に必要な要素を
探ってみます。
子育てをする親御さんにとっても
きっと参考になる内容でしょう。
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「リーダーを育てるリーダー」と聞くと、
多くの人は、
威厳に満ちたカリスマ的な人物を
想像するでしょう。
しかし現実は正反対で、
最も優秀で才能に溢れた人ほど、
後継者育成に苦労するケースが
少なくありません。
このことを理解するために、
歴史の中で最も興味深い対比となる
2人の人物を見てみましょう。
平安時代初期、空海と最澄という
2人の偉大な宗教家が登場しました。
空海の天才ぶりは圧倒的でした。
遣唐使として唐に渡り、
わずか3ヶ月という驚異的な短期間で
密教の最高位である阿闍梨位を継承。
千人を超える弟子の中から選ばれ、
恵果和尚から
直接奥義を伝授されたのです。
書家としても三筆の一人に数えられ、
嵯峨天皇からの信頼も厚く、
東寺を与えられました。
全国に残る温泉発見の伝説や、
杖をついて泉を湧かせたという話など、
空海にまつわる逸話は千件を超えます。
一方の最澄は、空海ほど
華々しい伝説に彩られてはいません。
客観的に見れば、
空海の方が圧倒的に
「すごい人」だったと言えるでしょう。
ところが人材育成の観点から見ると、
結果は意外なものでした。
空海が開いた真言宗(高野山)からは、
その後の日本仏教界に
大きな影響を与える傑出した人物が
ほとんど出ていません。
対照的に、
最澄の天台宗(比叡山)からは、
法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、
栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)、
日蓮(日蓮宗)など、
後の日本仏教を形作った宗祖たちが
次々と巣立っていったのです。
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なぜこのような意外な結果が
生まれたのでしょうか?
その理由は、空海が
あまりにも突出した天才であり、
カリスマ性に満ちていたことが、
かえって弟子たちの成長を
妨げたと考えられるからです。
空海の弟子たちは、
師の万能ぶりを目の当たりにして
「空海さんについて修行すれば、
自分も万能の人になれる」と考え、
依存的な関係に
陥っていったのではないでしょうか?
現代の組織でも、同じような現象は
しばしば見受けられます。
カリスマ的な
経営者やリーダーのもとでは、
部下が受け身になりやすいものです。
明確な指示を
与えてくれるリーダーの存在は
一見頼もしく感じられますが、
実は部下の思考力や判断力を
奪ってしまうことになるのです。
カリスマ的なリーダーは
「常に解決策を提示してくれるリーダー」
であることが多いからです。
「このようにすればいい」
という自信に満ちた指示によって、
部下は真剣に考えたり
悩んだりする必要がなくなります。
けれども、
考えたり悩んだりすることは、
人が成長していく上で
欠かせないものです。
優秀なリーダーに従うことで、
葛藤や矛盾に
向き合うことを避けてしまい、
その結果、成長の機会を
失ってしまうのでしょう。
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仏教には「不立文字」
という概念があります。
最も大切な真理は
言葉では表現できず、
修行者が自ら体得するしかない
という考え方です。
般若心経を読んでみても、
「これではない、あれでもない」という
否定語の連続で構成されており、
決して「これが答えだ」
とは言いません。
臨済宗や曹洞宗などの禅宗は、
その歴史の中で、
たくさんの名僧・高僧を
生み出してきましたが、
この「答えを教えない」ことを
徹底しています。
師匠の役割は
質問をすること(公案を出すこと)であり、
答えるのは弟子です。
師匠は決して答えを示さず、
ひたすら弟子の葛藤を見守ります。
この伝統があるからこそ、
禅宗からは良寛、一休、白隠など、
数多くの名僧が
生まれているのでしょう。
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では、すでに
カリスマ的な存在であるリーダーは、
どうすれば人材育成が
できるようになるのでしょうか?
天外伺朗氏が提唱する
「愚者の演出」という概念が
参考になります。
これは、リーダーが
自分を賢く見せることをやめ、
意図的に愚者として
振る舞うという考え方です。
「この問題に
どう対処したらいいだろうね?
私にはわからないから、
みんなの知恵を貸してほしい」
といった具合に、
自分を愚者として演出するのです。
すると周囲の人たちは
「われわれがしっかりしなければ」
「自分たちが考えなければ」
と思うようになるでしょう。
その結果、組織全体が
能動的になり、
活性化していくのです。
老子の「和光同塵」という言葉も、
この精神を表しています。
「その光を和らげ、
その塵に同じうす」、つまり
才能をギラギラ輝かせるのではなく、
それを和らげて
周囲の人々に同化するという意味です。
「私は君たちとは違うんだぞ」
と能力を見せびらかすのではなく、
「私もあなたもみんなも同じだよね」
というスタンスに立つことが
大切なのです。
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この「答えを与えない」育成法は、
子育てにも応用できるでしょう。
親が子どもの勉強や進路について
「これをしなさい」「あれを選ぶべきだ」と、
まるで正解を知っているかのように
指示を出し続けると、
子どもは考える力や
葛藤に耐えて意志決定する力、
そして自ら決める力を
育むことができません。
ときに親は
子どもに「失敗させてはいけない」と思い、
先回りして正解を教えたくなるものです。
しかし、子どもにとって
本当に大切なのは、
失敗やうまくいかない経験を通して
学びを得ることです。
「これをやったら
うまくいかないんだ」と学んだ子どもは、
次に別の方法を模索し始めるでしょう。
遠回りに見えるでしょうが、
試行錯誤しながら
自分にとって何が一番よいのかを
見つけていく過程こそが、
かけがえのない経験となるのです。
また、私たち大人でさえ、
「将来のために今何をすべきか」
という問いに対して、
100%正解と言える答えを
持っているわけではありません。
自分のことでさえ
わからないことが多いのですから、
まして子どもに対して
「これが正解だ」という答えを
与えることなど、
本来できるはずがないのです。
この事実を受け入れたとき、
親は子どもに
あれこれ指示を出すのではなく、
子どもが悩み、葛藤する姿を
温かく見守ることが
できるようになるでしょう。
子どもが自分なりの答えを
見つけ出すために考え、葛藤し、
試行錯誤するプロセスそのものが、
最も重要な学習体験であるからです。
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人を育てる力の本質は、
知識や技術を
教えることではありません。
相手に問いを与え、
その人なりの答えを見つける過程を
信じて見守ることです。
これは「待つ力」であり、
「信じる力」でもあります。
最澄が数多くの傑出した弟子を
育てることができたのは、
弟子たちの可能性を信じ、
それぞれが独自の道を歩むことを
許容したからでしょう。
法然も親鸞も道元も、
師の教えをそのまま受け継ぐのではなく、
自らの仏教を確立していきました。
最澄にとって、
弟子が自分を超えていくことは
喜びだったのでしょう。
現代の組織においても、
子育てにおいても、
この原理は変わりません。
部下や子どもを
「信じて任せる」姿勢こそが、
真の成長を促すのです。
答えをすぐに与えたくなる気持ちを
ぐっとこらえ、
相手が自分で考え抜く
時間と空間を提供する――
これこそが「人を育てる力」の核心なのです。
真のリーダーとは、
自らの光を和らげ、
他者の中に眠る可能性の光を信じて
待つことのできる人なのかもしれません。
最澄のように、
自分を超える人材を育てることに
喜びを見出すリーダーこそが、
組織と社会の未来を
創っていくのでしょう。
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この記事では、
「人を育てる力」とは何か、
そしてそれが決して
「正解を与えること」ではなく、
「答えを与えない勇気」にある
ということをお伝えしました。
天才的なリーダーほど
後継者育成に苦労する理由を、
空海と最澄の対比を通して
考えました。
また、仏教や禅の教えに見られる
「教えないことで育てる」という知恵や、
現代において有効な「愚者の演出」という
実践的なヒントも紹介しました。
これらの考え方は
子育てにも通じており、
「失敗を避けさせるのではなく、
失敗を通じて学ばせる」ことの大切さ
についても触れました。
誰かを本当に育てたいと願うなら、
信じて、待って、
見守ることが欠かせません。
すぐに答えを与えるのではなく、
相手が自分自身の力で考え、迷い、
選び取る機会をつくること。
それが、長い目で見れば、
その人の力を
最大限に引き出すことになるでしょう。
あなた自身が経営者であれ、
親であれ、
誰かの成長を願う立場にあるならば、
「すぐに教えることがベストではない」
という視点を、
少しでも意識してみてください。
その小さな一歩が、
周りの人の大きな成長へと
つながっていくでしょう。