先週、1年ぶりにパーマストン・ノースへ行った。
ここには私が留学中にお世話になった
ホストファミリーが住んでいる。
ホストファーザーは数年前に他界したが、
85歳になるホストマザーは今でも健在。
高齢にもかかわらず、赤十字のボランティアに
熱心で、生活をエンジョーイしている様子だ。
ニュージーランドに住み始めて最初の3年間
私はこのファミリーと生活を共にした。
私にとっては、ニュージーランドの
ママとパパといってもよいだろう。
パーマストン・ノースから帰ってきた翌日
日本の実父から電話を貰った。
最近私が両親宛てに贈ったギフトの
お礼を言いたかったようだ。
それで、久しぶりに実父とも話をした。
ホストマザーと私の実父は
年齢的には1歳しか違わない。
でも、価値観や考え方は大分違う。
そんな両者と話していて
私は昔のことを思い出した。
ホストファミリー宅で
私は心地よい波動を感じていた。
なんとも言えない安堵感があった。
外国での新しい生活は
私に緊張感を与えるどころか
解放感を感じさせてくれた。
日本の実両親の家には
重苦しい空気が流れていて
その場所にいるだけでも
私は息が詰まりそうだった。
日本の実家では味わうことができない
軽やかで心地よい波動に
私は満足して、ワクワクした気持ちで
ニュージーランド生活を
始めたことを思い出す。
最近、ホストマザーや実父と話して
私は改めて実感した。
両者の追い求める幸せの定義が
全く違うことを。
ホストマザーにとっての幸せは
自分自身が心底楽しい、嬉しい
をたくさん体験すること。
彼女にとっては海外へ旅行に行き
今まで触れたこともないことを
体験して楽しむことだ。
だから、80歳を超えてからも
シンガポールやタイを旅行している。
それに対して、私の実父の幸せは
体裁が立派に整っていること。
一流大学を卒業して
一流企業と言われる会社に就職して
その企業内で出世をする。
一生同じ企業で安定した仕事に就き
勤め上げること。
それが立派な生き方で、
そうできれば幸せになれる
と思っているようだ。
ホストマザーは自分が心から
感じることを大切にするのに対して、
実父は見かけが立派であれば、
それが一番良いようだ。
私が留学を終えて、現地で就職をした時
こんなことがあった。
私の就職先は日本の組織で
体裁上はかなり良いものだった。
でも、人間関係が非常に複雑で
私は仕事を楽しむどころか、
苦しい思い出しかない。
職場でのことをホストマザーに話したら
彼女は私にこう言った。
「そんなに辛いんだったら、
別の職場を探した方がいいわよね。
仕事の時間は1日でも大きな割合を占めるから
ツライのを我慢するよりも、
自分に合った職場に移った方がいいと思うわ」と。
それに対して、私の父は激怒した。
「世の中はそんなに甘くないんだ!
立派なところに就職できたんだから
頑張って働け!人生には我慢しなきゃ
ならないことが沢山あるんだよ!」と。
結局、私はその組織で4年間働いて退職した。
その時、父は私に「愚か者」のレッテルを貼り
呆れた様子だったことを覚えている。
父にとっては体裁が良い組織ならば
我慢して働くことの方が幸せだと思っている。
どんなに私が辛くても、それが幸せだと
勝手に私に押し付けてくる。
それに対して、ホストマザーは
名の知れない小さな企業でも
私が楽しい気持ちで働ける方が良いと言う。
体裁なんかよりも、
実際に私が楽しいかの方が大切だ
と思っているのだ。
私自身は、体裁よりも、自分の気持ちに
正直に生きた方が幸せだと考える人間だ。
だから、若いころには
私は実父に対して大きな反発心を抱いていた。
自分と同じ価値観でなければ
機嫌を損ねて怒り出す父のことを
私はずっと忌み嫌ってきた。
そんな私は今でも父の価値観が好きではない。
話をすれば喧嘩になるので、
お互いのことをずっと避けてきた私と父。
そんな私達だが、最近は私も父も
大分丸くなってきたかなと感じる。
父にとっては私の生き方は負け組だ。
しかし、そんな私に対して怒鳴ったり
非難の言葉を発しなくなった。
私の方も、父の価値観は好きではないけれど
「まあ、それでいいでしょう」と
軽くスルーできるようになった。
私はニュージーランド。父は日本。
私達は違う国に住んでいて、
連絡するのは1年に2~3回程度。
スカイプで話すときには
会話が良くない方向に進みそうなら
「もうすぐ出かけるから」と言い
話を止めることが可能だ。
これが一緒に生活していたら
そういうわけにもいかないだろう。
それでも、以前は私達親子間には
連絡を全く取らない年も多かった。
年に2~3回でも、スカイプや電話で
話ができるようになったことは
私達にとっては大きな進歩だと言える。
お互いに価値観が違っても
先日は嫌な思いをせずに
父と30分以上も長電話できたことは
私にとっては素晴らしいことだと思った。