ニュージーランドに来て良かったな~と思うこと

私は東京で生まれ育ち、
成人するまで
東京で暮らしていました。

20代半ばで
ニュージーランドに渡り、現在では
この国に33年間住んでいます。

今回は、私が
ニュージーランドに来てよかった
と感じたことについて
お話しします。

このお話は、
表面的なことだけでなく、
かなり深い内容です。

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常識は絶対的なものではない!

私がニュージーランドに来て
一番良かったと思うのは、
日本で常識だと思われていたことが、
ニュージーランドでは
常識ではなかったことを
身をもって体験できたことです。

実は、私は「常識」という言葉が
あまり好きではありません。

その理由は、日本の実家で
両親と暮らしていたときに、
両親から「そんなの常識でしょ!
そんなこともわからないの!」
と言われることが多かったからです。

そのたびに
不愉快な気持ちになりました。

同時に、
「私は常識に従えない悪い人間だ」
と感じてしまい、
劣等感に苛まれることも
たびたびありました。

しかし、常識というものは、
いつでもどこでも誰にでも
通用するものではありません。

場所が変われば、常識も変わりますし、
同じ場所でも、時代が変われば
常識も変わるものです。

また、自分が属する
コミュニティーによって
常識とされることが異なる場合も
少なくありません。

つまり、絶対的な常識
というものは
どこにも存在しないのです。

しかし、
一つの場所だけに住んでいれば、
そこでの常識は当然のものであり、
正しいことだと錯覚しがちです。

それまでずっと住んできた
東京都で常識とされていたことが、
ニュージーランドでは
全く違ったという体験ができたことが、
私がニュージーランドに来て
良かったと思うことの一つです。

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刺青は悪いことなの?

日本とニュージーランドの「常識」が
異なる例として、
「刺青」があります。

刺青を入れることは、日本では
一般的に良くないこと
とされています。

現在の状況は分かりませんが、
私が日本に住んでいた昭和の時代には、
刺青を入れた人に対する
偏見がありました。

私の学校の教師は
「入れ墨はヤクザがするものだ」
と言っていました。

また、日本のドラマで、
息子が入れ墨を入れたことで親が怒り、
親子関係が壊れてしまう
というシーンを見たこともあります。

日本で刺青が一般的に
悪く評価されることとは対照的に、
ニュージーランドでは
そのようなことはありません。

ニュージーランドの先住民である
マオリ族にとって、
刺青はその人の身分や家系、
ステータス、さらには権力を示す
重要な象徴とされています。

社会的地位や個々の人生経験も反映する
文化的要素として、刺青は
非常に重要なものとされています。

ニュージーランドにおいては、
マオリ族以外の人たちも
刺青を入れることが
少なくありませんが、
これは多くの場合、
装飾や芸術としての表現手段です。

刺青が否定的な要素と
見なされることは、
ニュージーランドではありません。

これは単に一つの例ですが、
環境や文化が異なれば、
「常識」もまた変わってくる
ということを示しています。

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私は常識外れの悪い娘だった!

一つの場所で「これが正しい」
「こうするべき」
と考えられていることも、
その地域を離れれば、
必ずしも通用するとは限りません。

私が今でも「常識」という言葉に
抵抗を感じる理由は、両親から
「お前は常識がない」
と非難されることが多かったからです。

私は昭和中期の生まれですが、
日本に住んでいた頃には、
終身雇用制が
一般的な社会構造でした。

ニュージーランドに移住する前、
私は日本の企業で
短期間勤務したことがありました。

その際、両親は
私が就職した会社に
大変満足していました。

それゆえに、
私が海外へ行くために
会社を辞める決断をしたとき、
両親は強く反対しました。

特に父は
「何て非常識なことをするんだ」
と何度も言いました。

おそらく父にとって、
会社を辞める理由は
結婚以外に
考えられなかったのでしょう。

さらに、
私が外国人と結婚したことも、
両親にとっては
非常識な行為とみなされました。

母からは
「常識がない親不孝者」
というレッテルを貼られ、
親子の縁を切るほどのことまで
言われました。

日本で両親と暮らしていたころ、
私は女性でありながら
一般的な家事がうまくできず、
「常識がない」と
繰り返し非難されてきました。

そのような状況から、
私はかなり窮屈な思いをしてきました。

私の実家は非常に保守的で、
古風な価値観を持つ家庭でした。

「こうすべき」「ああすべき」
「それは許されない」
「あれはよいこと」といった、
「常識」とされる多くのルールが
存在していました。

両親の価値観に
沿わない行動や考え方は、
すぐに「常識知らず」と
非難されていたように感じます。

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ところ変われば常識も変わる!

ニュージーランドに
住むようになってから、
日本で「常識だから」
と言われていた多くのことが、
実はそうでもないと気づき、
ほっとしました。

たとえば、
私がホームステイした家の
ホストマザーは、
料理を全くしなかったのです。

料理はホストファーザーが好きで、
毎晩夕食の準備は彼の役割でした。

これは、私の実家の両親にとっては
非常識なことです。

日本の多くの家庭では、
奥様が料理を担当するのが
当たり前だという考え方が
一般的だったからです。

しかし、ニュージーランドでは
そのような考え方は
一般的ではありません。

奥様が料理をする家もあれば、
ご主人が料理をする家もあり、
また協力して料理をする家庭も多いです。

さらに、
日本で一般的だった終身雇用制度は、
ニュージーランドでは
普通とは言えません。

この国では、
一つの企業に長く勤める人は
むしろ少数派で、
頻繁に仕事を変える人が多いです。

もし私が
ニュージーランドに移住しなかったら、
恐らく一生、私は自分を
「常識に疎いダメ人間」と思い込み、
惨めな気持ちで
過ごしていたことでしょう。

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環境を変える勇気を持とう!

一つの場所にずっと住んでいると、
その土地で当たり前とされることが、
どこでも通じるような錯覚に
陥りがちですが、実際のところ、
そうではありません。

その土地の通念に
自分自身が適応できない場合、
かなりの苦労を
強いられることになるでしょう。

そういう意味で、
ニュージーランドに移住できたことは、
私にとって大きな救いでした。

「常識」という言葉を
もう少し深く考えてみると、
絶対的に正しい「常識」など
存在しないと考えます。

環境が変われば常識も変わりますし、
時代が変われば常識も変わります。

同じ場所に住んでいても、
人によって「常識」
と思われることは
異なることが多いです。

そうした視点から考えると、
もし現在の環境に
馴染めないと感じるのなら、
環境を変えることも
一つの手段だと思います。

たとえば、国を変えるのは
難しいかもしれませんが、
職場や学校、住んでいる地域を
変えることは、
それほど困難ではないでしょう。

一つの場所にしか経験のない人は、
その場所のルールが
すべてだと思い込みがちですが、
外に出ればルールも変わるものです。

せっかくの人生なのですから、
居心地の悪い場所にいるよりも、
自分にとってポジティブな場所で
過ごしたほうが幸せでしょう。

かつて日本では常識外れだ
と非難されてきた私ですが、
ニュージーランドで「常識」が
絶対的なものではないと気づき、
自信を持って普通の人間として
生きられるようになりました。

その点、とてもありがたい
と感じています。

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おわりに

今回は、私がニュージーランドへ来て
良かったと思うことを
お話ししました。

それは、日本の常識と
ニュージーランドの常識が
全く異なることを
身をもって体験できたことです。

この話をする主な目的は、
もし過去の私のように、
環境にフィットできずに
悩んでいる方がいれば、
新しい環境を模索することを
おすすめしたいということです。

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