ニュージーランドはアバウトな社会:いい加減さが育む寛容さ

今回は、
「ニュージーランドはアバウトな社会」
というテーマでお話しします。

ニュージーランドでの生活を通して、
さまざまな場面で目にするのは、
大まかで少しばかりいい加減な様子です。

また、それと同時に、
ニュージーランド人の寛容さも
度々感じることがあります。

この寛容さとアバウトさが
深く関連しているのではないかと、
私は個人的に考えています。

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遅刻しても大丈夫。 先生に叱られないから

私の子どもたちが
小学校に通っていたころ、
授業を見学する機会がありました。

その学校では授業参観日は
設けられていませんでしたが、
低学年のうちは
いつでも教室に見学に来てもよい
とのことでした。

特に1年生のころには、
多くの保護者がクラスを訪れて
見学していましたし、
私もしばしば学校の様子を
見に行っていました。

その際、目にしたのは、
30分も遅刻して登校した子どもを
先生が温かく迎える様子です。

「~ちゃん、おはよう。ウェルカム!」
と先生が心温まる迎え方をして、
ハグをしていました。

日本では
なかなか考えられないことだ
と思いました。

日本では時間を守ることの
重要性が強調され、
遅刻すると注意されることが
一般的でしょう。

しかし、ニュージーランドでは、
特に低学年の子どもたちに対しては、
叱るよりも歓迎する姿勢が
目立ちました。

ニュージーランドでは、
学校と自宅の距離が
遠い子どもが多く、多くの場合、
親が車で送り迎えをするのが普通です。

親の都合で
始業時間に間に合わない子どもも
いるわけですが、そのような場合でも、
教師から特別な注意はないようでした。

ただし、高等学校になると
状況は異なるようですが、
小学校では遅刻に対して
とても寛容な雰囲気がありました。

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道に迷ったバス運転手さんを乗客が助ける?

ニュージーランドに
来たばかりのことですが、
時々バスの運転手さんが
ルートを間違えて、
まったく違う道を走ったり、
指定されたバス停以外で
乗客を降ろすことを目にしました。

特に印象深かったのは、
街の中心部から大学行きのバスに
乗ったときの出来事です。

その日のバス運転手さんは、
本来の運転手さんが病欠で、
臨時で運転しているとのことでした。

ルートに不慣れであるため、
乗客の一人に
道案内を依頼していたのです。

「実は今日は代理で
運転しているんだけれど、
このルートをあまり覚えていなくて。
悪いんだけど、道案内してくれるかな?」
と乗客にお願いしていました。

その乗客も、「もちろんですよ、
僕は毎日このバスを利用しているから、
ルートはよく知っていますよ」と快く応じ、
「次の信号で右折して」とか、
「このまま直進して」といった
具体的な指示をしていました。

留学1年目の私は、
これにはとても驚かされました。

通常、臨時であっても
仕事をする以上は、
自分でルートを確認するものだ
と思っていましたので、
乗客に道を尋ねる運転手を見て、
「えっ!?」と思いました。

日本では
もしこのようなことがあれば
大問題になるでしょう。

でも、ニュージーランドでは、
こんな状況でも大きな騒ぎにはならず、
これも一種の「寛容さ」
と言えるかもしれません。

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アバウトさに慣れているから、寛容にもなれる?

この国では、バスがたとえ
一時的にルートを外れたとしても、
予定の場所で降りられなかったり、
バスを逃したりした人がいても、
気楽に構える人が多いです。

学校やバスの件について
厳しく言えば、
いい加減で望ましくない
と考えることもできますが、
肯定的に捉えると、
小さなことにこだわらない
寛容でおおらかな姿勢だとも言えます。

ニュージーランドでは、
日常生活のさまざまな場面で
このような状況に遭遇するため、
国民もそれに順応しているのでしょう。

大雑把な対応やいい加減な状況に
自分が不便を感じても、
その状況に対して
寛容な姿勢を見せる人も
少なくありません。

私の住む地域では、以前、
停電が頻繁に起きていました。

突然の停電で
数時間電力が戻らないことも
珍しくなかったのです。

便利な日本に慣れ親しんでいた私には、
この状況はかなりつらいものでした。

しかし、
ニュージーランド人たちは
こんな場合でものんびりとしており、
「電力会社に連絡したら、
『修理中でまだ2時間はかかる』
と言われたんだ。でも、
修理してくれているから仕方ないよね」
と怒ることなく、落ち着いて待っていました。

私だけが
イライラしてしまったわけですが、
これは日本の便利な生活に慣れており、
私の不便に対する耐性が
低いからだと思いました。

不便なことが頻繁に起こり、
いい加減で大ざっぱなことが
日常化している社会では、
人々もそれに慣れ、「またか」
と軽く受け止め、
深くは気にしない傾向にあるようです。

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便利な社会に慣れていれば、ちょっとしたことも許せなくなる?

これとは正反対の経験もあります。

これも私の留学時代の話ですが、
さまざまな国からの留学生たちとの交流が
多かったです。

ある日、親しくなった仲間10人ほどで
一緒に食事に出かけました。

集まったのは、マレーシア、
シンガポール、中国、韓国、日本、
イギリス、カナダ、フィジー出身の人々です。

飲み物はすぐに提供されましたが、
注文した料理が
なかなか運ばれてきませんでした。

40分ほど経過したとき、
シンガポール出身の留学生が非常に怒り、
和やかだった雰囲気が一変しました。

彼は「こんなに遅いのは許せない!」
と憤慨し、店のスタッフにも
強い口調で不満を伝えました。

私もお腹が空いていましたが、
「少し遅いな」と思う程度で、
友人たちとの楽しい会話に夢中でしたので、
それほど気にならなかったです。

彼があそこまで激怒するとは、
私たちは皆驚きました。

今思えば、彼が怒ったのは、
彼の母国シンガポールが
秩序正しく整った環境であり、
便利さに満ちているため、
彼はそれに慣れているからでしょう。

全てが整然としており、規則が守られ、
時間の厳守が当たり前の環境では、
些細な遅れに対する忍耐力が
低下するのかもしれません。

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おわりに

私はニュージーランドに住み始めて
もうすぐ33年になりますが、
大雑把なことや予定が狂うことにも
だいぶ慣れてきたと思います。

そのお陰で、予期せぬことへの耐性も、
少しずつではありますが、
強くなってきていると実感しています。

もちろん、いい加減さや寛容さが
許されない場面もあります。

たとえば、医療現場では
人の命がかかっているため、
正確さが求められますし、
時間を守って
どこかへ行かなければならない状況では、
交通機関の遅れは困ります。

そういった場合は、
自分でより確実な方法を
見つける必要があるでしょう。

しかし、それ以外の場面では、
多少のアバウトさも
受け入れられるのかもしれません。

規則に厳しく縛られ、
少しの間違いも許されない状況で
神経をすり減らすより、
少しの誤りがあっても
大筋が合っていればよいという、
肩の力を抜いた姿勢のほうが
人間らしくて良いのではないでしょうか?

今回は
「ニュージーランドはアバウトな社会」
というテーマでお話ししました。

この話題に関するYouTubeのトーク動画も
投稿しています。

ぜひ、そちらもご覧いただければ幸いです。
リンクは以下の通りです
https://youtu.be/BM2xb3CL6M8?si=VVNLbTMQfVcWiOYk