今回は、日本の外から
日本を眺めて感じることの一つを
お話ししたいと思います。
これも私が
主観的に感じたことですので、
一意見として参考にして頂ければ、
幸いです。
それは何かと言えば、
日本には自己犠牲的な親が多い
と感じることです。
一見、素晴らしいことのように
思われますが、実は、
この親の自己犠牲的な献身が
子どもを苦しめてしまう原因ともなり得るので、
その点では残念なことだと思います。
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親と子の関わり方の違いについて、
日本とニュージーランド(NZ)の間で
感じる点をお話ししましょう。
たとえば、
「あなたが幸せになるためなら、
私は無理をしてでも、
あなたのために頑張るからね」という、
心温まる親の言葉を
日本ではよく耳にします。
しかし、NZではそうした言葉を
聞く機会はほとんどありません。
このことから、NZには
子どもへの献身が少ないのではないか
と思われがちですが、
実はそうではありません。
NZにおいても
親は子どもの幸福を願って行動し、
必要なサポートを惜しみません。
ただし、日本との大きな違いは、
親が子どものために
どこまで自己犠牲を払うか、
という点にあります。
日本では、子どものためなら
大きな犠牲もいとわないという
風潮がありますが、NZでは、
子どもへの支援は必要としつつも、
過度の自己犠牲は避ける傾向にあるようです。
この違いは、日本が我慢や忍耐、
自己犠牲を美徳とする文化の
影響かもしれません。
成人した子どもに対しても、
日本の親子関係はNZよりも
親密なことが多いように思います。
そのため、多くの日本の親は、
子どもの幸福のためなら、
どんな犠牲もいとわないという
姿勢を持っているのでしょう。
私自身、日本にいた頃は、
「あなたの幸せのためなら何でもする」
という親は理想的だ
と考えていました。
しかし、NZでの長年の生活や
様々な人生経験を経て、
そのような親子関係が
必ずしも望ましいとは限らない
と考えるようになりました。
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親の発する言葉が
一見すると優しいものではあっても、
それが子どもを
縛りつけてしまう場合も多いです。
親が子どもに対して持つ理想と、
子ども自身の願いが異なることは
珍しくないでしょう。
そのような場合、
「あなたが幸せになるためなら、
無理をしてでも頑張るよ」と言われると、
子どもは親の期待に応えなければならないと思い、
プレッシャーを感じてしまうことになります。
子どもは親の願いに
沿わない選択をすることに罪悪感を持ち、
自分の望む人生を
諦めてしまうこともあるでしょう。
「母親を悲しませてはならない」
という強い罪悪感に駆られ、
自分の本当の望みがあっても
それを追求できない状況が生じます。
そして、結果として
自分らしい人生を
送れなくなってしまうのです。
もし子どもが親の意向を押しのけ、
自分の意向を優先する道を
選んだ場合、
親が「あなたが幸せならそれでいい」
と受け入れることもありますが、
必ずしもそうではありません。
「私はあなたの幸せのために
自分の人生を捧げてきたのに、
どうして私を見捨てるの?
そんなに恩知らずなの?
私のこれまでの努力は何だったの?」
と反発する親もいるでしょう。
これは、子どもへの献身が、
ある意味で「見返りを期待する」もの
であったと言えます。
このような状況では、
親子間の関係が悪化し、
両者が苦しむことになりかねません。
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日本では、子どもが
人生の大切な決断を迫られたとき、
親が意見を述べることは
少なくありません。
子どもの選択が親の意に沿わないとき、
「それは避けたほうがよいわ。
私はあなたがこうするのが
一番だと思っているの。
あなたのためを思ってのアドバイスよ」
という表現を使うことがあります。
この「あなたのために」というフレーズは、
親の温かな配慮のように
感じられるかもしれませんが、
実際には親の個人的な希望や
都合であることが多いように思います。
私自身、母から同様の言葉を
受けた経験があります。
私の夫はニュージーランド人で、
結婚して29年になります。
結婚前、母は
「外国人との結婚は認めないから。
今は問題ないかもしれないけれど、
文化の違いからくる生活の困難を考えると、
その選択を見直したほうがいいわ。
これはあなたの幸せを願っての忠告よ。
もし外国人と結婚するなら、
私はあなたとは縁を切るから」と言いました。
母は「あなたのために」という言葉を
何度も繰り返して
私の結婚を反対しましたが、
私は母の言葉を無視して、
夫と結婚することにしました。
そして、今でもその選択をして
本当に良かったと思っています。
「あなたのために」という言葉は、
実際には、母が私に
外国人と結婚して
海外で生活してほしくないという、
自分自身の希望から出た
言葉であると考えます。
つまり、「私のため」ではなく、
実際には「母のため」だったのです。
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NZでも、自分の子どもには
このようになってほしい
と願う親は多いです。
しかし、その願いが
子ども自身の意向と異なる場合、
多くの親は実に潔く、
「それは仕方がない」
と受け入れる傾向にあります。
親が子どもに対して
「あなたにはこうなってほしい」
と自分の希望を伝えることはあっても、
子どもが「私はその道を選びたくない」
と反対意見を示せば、親は比較的素早く
その選択を受け入れ、
「残念だけど、しょうがないわね」
という態度を示すことが多いようです。
この態度の背景には、
子どもが自分の子どもである前に、
一人の独立した人間である
という認識があります。
NZの文化では、
子どもが成人に達すると、
親と全く別の独立した個人として
扱われるのが一般的です。
そのため、子どもを自分の影響下に
置こうとしたり、
自分の意のままに
子どもを動かそうとする親は
あまり見られません。
これは、単に
「親子」という関係を超えて、
個々人が互いに尊重される文化の
表れとも言ってよいでしょう。
NZでは、
個人の自由や意志が高く評価され、
自己決定の重要性が強調されるため、
子どもたちも自分自身の人生を
主導することが奨励されています。
そのおかげで、NZの親子関係は
互いの独立性に基づいた
健全なものになりやすいと、
私は個人的に考えています。
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日本では、
親の期待と異なる道を選ぶことが、
親を失望させ、親不孝になる
と考える人が多いようです。
しかし、私はそうは思いません。
もし親が本当に
子どもを愛しているのなら、
子どもが自分の願いを叶え、
自分らしい人生を歩み、
幸せになることを
望むことだと思います。
そして、それが真に
「あなたのため」になることだ
と信じています。
日本には、親の期待を裏切ることを
否定的に捉える人が
大勢いるようですが、
私はそうは思いません。
子どもが親の期待に背くことは、
子ども自身が心理的に自立して、
成長することを意味するからです。
同時に、親も子離れが可能となります。
子離れできない親は、
子どもに永遠に期待し続け、
その期待が満たされないことに
不満を感じることが多いです。
そして、被害者意識を抱きながら
老後を過ごすことになるのです。
これは親にとって
辛い状況ではないでしょうか?
むしろ、子どもが成人すれば、
親は子どもを独立した個人として尊重し、
子どもの選択を尊重したほうが
よいと思います。
子どもの選択が
親の意向と異なっていても、
干渉するべきではありません。
それにより、親子関係が健全に保たれ、
双方がより幸せになれると信じています。
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今回は、
日本の献身的な親について、
私が感じたことをお話ししました。
子どもに対して
自己犠牲的な献身の姿勢を
見せることは、
一見美しいように思われますが、
実際には、子どもに罪悪感を抱かせ、
子どもを縛りつけるリスクもあるのです。
それにより、子どもが
自分らしい人生を
歩むことの妨げにもなります。
そのため、このような親の姿勢は
望ましくないことだ
と私は考えています。
あくまでも私の主観に過ぎませんが、
一つの意見として
参考にしていただければ幸いです。