日本人は集団志向、それに対してニュージーランド人は個人志向

日本とニュージーランドの
両国に長年住んだ私は、

日本人とニュージーランド人とは、
こんなところが違う! 
と感じることが度々ある。

今回の話は、私が感じる
日本人とニュージーランド人の
違いの一つについて。

それは、
日本人は自分が属する集団を
とても重要視するのに対して、

ニュージーランド人は、
集団よりも、個人を優先させる
傾向にあることだ。

どんな点でそうなのか? 
お話したい。

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たとえば、
仕事以外のパーソナルな
生活の中で、
初対面の人に会う場合。

多くの日本人は、
「私は(会社名)に勤務している
(個人名)と申します」
という挨拶から始まる。

会社員の場合には、
自分が働く会社名。
それと同時にどんな肩書なのかを
一番最初に話す。

学生の場合には、
高等学校名や大学名を
言うことが普通だろう。

自分がどこの組織に属していて、
どんな肩書があるのかを
かなり重要視している。

なぜなら、その情報に基づき、
相手が自分と付き合うのに
相応しい人間かどうか
判断する材料になるからだ。

相手が自分にとって
付き合うのに適切だと感じれば、
積極的に人間関係を
深めることになる。

それに対して、
ニュージーランド人の場合には、
どんな会社に勤めていて、
どんな仕事をやっているかは
さほど重要ではない。

それよりも、相手と自分は、
スポーツなどの趣味や娯楽、
興味、関心事で共通点があるのか? 
話していて会話が弾むのか? 
そちらのほうが大切だ。

同じ趣味の持ち主で、
その趣味の話題で盛り上がり、
ある程度、仲良くなった後に、

初めて「ところで、あなたは
どこで働いているの?」
と勤め先の組織名を尋ねることも
しばしばだ。

共通の関心事で
一緒に活動したり、
会話をしていて楽しいのなら、

勤めている会社や仕事内容は、
全然関係ないと思うのが
ニュージーランド人の多くだ。

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結婚についても
「家」という集団を重視するのか?
それとも、個人を優先させるのか?
違いが見られる。

日本の結婚は、
「家」対「家」の結婚
と意識する人が多い。

女性は結婚する際に、
生まれ育った家から籍を抜いて、

嫁いだ先の家に入籍する。

一つの家に属していた人が、
そこからは離れて、
別の家に属するようになる。

結婚前は、
実の両親がいる家に
属していて、その家の苗字を
名乗っているが、

結婚後は、
旦那様の家の人間となり、
その家に属して、
旦那さんと同じ苗字に
変えるのが一般的だ。

これに対して、
ニュージーランドの場合には、
どちらかと言えば、
結婚も「個人」対「個人」
という感覚が強い。

結婚したからと言って、
実家から籍を抜く
ということもなく、
今まで通りだ。

そもそも
ニュージーランドには
戸籍というモノがないからだ。

結婚後の苗字に関しても、
どの苗字を使うかは
個人の自由だ。

日本と同じように、
旦那さんの苗字を
名乗ってもよいし、

苗字を全く変えることなく、
生まれた時からの苗字を
そのまま使い続けてもよい。

または、旦那さんの苗字と
奥さんの苗字をハイフンで
くっつけて、
新たな苗字を作る夫婦も多い。

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昔、こんなことがあった。

NZの大学に留学中、
私は3年間、現地の家庭で
ホームステイをした。

ステイ先のホストマザーも
ホストファーザーも
両方とも再婚だ。

彼らには
しばしば訪問する場所があり、
そこへ行くたびに
私も一緒について行くことが
多かった。

その場所とは、
ホストマザーの離婚した夫の
弟の家だ。

ホストマザーは
別れた旦那の弟と
とても仲が良い。

旦那とは離婚したのに、
離婚後も昔の義理の弟に
頻繁に会いにいっていた。

当然、そこへ行く時には、
再婚後の
新しい旦那さんも一緒だ。

正直、私はそのことに
とても驚いた。

なぜなら、
日本で生まれ育った私には、
結婚は、「家」対「家」
のものだと感じられたから。

日本的な感覚では、
離婚した場合には、
前の配偶者との家族とは
すっかり縁を切るのが普通だろう。

離婚後も、前の配偶者の家族と
仲良く付き合うこと自体
あり得ないような気がした。

離婚により、相手の家族とは
もう一切関りを持たないのが
普通だろうと考えたのだ。

しかし、ニュージーランドでは、
結婚は 「家」対「家」
というよりも、
「個人」対「個人」と
考える人のほうが多い。

たとえ前の旦那と
上手く行かなくて
別れたとしても、

前の旦那の家族と
仲良くしている場合には、
離婚後も、その家族メンバーと
今まで通り親しくするのは
当然のことなのだ。

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日本では、夫婦も
ある意味、集団として
扱われることもしばしばだ。

たとえば、子供たちに対して、
夫婦が同じ主義主張を
見せたほうがよい
と考える人は多い。

お母さんの考えと
お父さんの考えとが
違った場合でも、

どちらかが折れて、
両親としての考えを一致させて、
子供に同じように言ったほうが
望ましいと考えている。

実は、私と私のNZ人の夫は
子育てにおいて、
かなり違った意見を持っている。

私としては、
お父さんの言うことと、
お母さんの言うことは
同じようにしなければ、
子供に示しがつかないと
感じていた。

しかし、私のNZ人の夫は、
そのようには考えなかった。

子供の進路に関して、
私と夫の意見が食い違った時、
夫は子供に向かって、こう言った。

「お母さんはね、
このように考えている。
でも、僕はそうは思わないんだよ」
と言い、

私の考えることと、
夫の考えることとを両方
それぞれ子供に伝えた。

その後は、子供自身に
どちらにするのか選ばせる
という方針だった。

その夫の姿を見た時に、
私は思った。

こういう点でも、
夫婦を一つの集団として
扱うのではなく、

2つの独立した個人として
考えるのだと感じた。

夫婦を集団として
扱わないので、
夫婦間で意見が違っても、
ムリにどちらかが折れて、
一致させる必要はない。

母親は個人として、
このような考えをする。

それに対して、父親は
個人としてそれとは逆のことを
考えている。

夫婦でも子供に対して
同じ意見を持たなくても、
何も問題がないのだ。

小さなことだが、
これも個人志向なのか? 
集団志向なのか? 
の違いによるものだろう。

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今回は、私が感じた
日本人とNZ人の違いについて、
お話してみた。

日本人が個人よりも
自分が属する集団を
重視するのに対して、

ニュージーランド人は、
集団よりも、個人を大切にする
傾向があるということだ。

どちらが良い、悪い
と言うわけではなく、
全然違う考え方をする
というだけだ。

この違いを心得ていれば、
生活の様々な場面で
異なる考え方をしたり、
違ったアプローチをすることも
納得しやすくなるだろう。