スピリチュアルヒーラーMOMOYOさんは
「バウンダリーの法則」をユーチューブ上
で語っている。
イギリス在住のMOMOYOさんは
「イギリスはバウンダリーが
しっかり守られている国だ」と言う。
そのお陰で、人間関係面で
かなりラクだそう。
MOMOYOさんの話を聞いて
私が住むニュージーランドでも
同じことが言える、と思った。
バウンダリーとは「人間関係の境界線」。
自分と他人との間に線引きをして
これを超えて自分の領域に他人を入れない。
自分も他人の領域には侵入しない。
このルールを守ることで、人間関係面で
不愉快な思いがなくなり、
ラクになるということだ。
バウンダリーの法則は
「自分以外の人の人生を
コントロールしないこと」。
私の人生は私がコントロールする。
他の誰にもコントロールさせない。
同時に、私は他人の人生に口出しして
コントロールしようとしないことだ。
関係性が深い親子や親友、夫婦間でも
このルールを守れば、ラクになれる。
バウンダリーを越えた行為とは
どんなものだろうか?
例を出せば、次のようになる。
成人した子供に対して、親がこう指示する。
「今日は親戚の人と会うのだから
きちんとした服装をしなさい!」と。
これはバウンダリーを越える行為だ。
どの服を着るかは子供が決めるべきで
親がコントロールする領域ではない。
そんな親に対して、子供が返す。
「いちいち、そんなことを口出し
するんじゃないよ!」と。
これもバウンダリーを越える行為。
なぜなら、お互いに、自分が望む通りに
相手を動かそうとしているから。
上記の例は、些細なことだが、
もっと大きな例もある。
例えば、子供の進路を
親の都合がよいように
決めようとすること。
子供の結婚相手を、
子供が選ぶのではなく
親が決めようとすることだ。
日本では、こういう話はよく聞く。
おそらく、日本はバウンダリーを
守ることに関して、イギリスや
ニュージーランドとは全く違う文化
があるのだろう。
バウンダリーを守ることが良い理由は
人間関係を改善すること。
他人が自分のバウンダリーを越えて
侵入してくれば、自分は鬱陶しいと感じる。
それが原因で不愉快や怒りを引き起こし
人間関係が悪化することがある。
バウンダリーをきちんと守れば、
そのようなことは起きないだろう。
バウンダリーについて
私がニュージーランドで経験したことを
幾つかお話したい。
私の夫(ニュージーランド人)のこと。
夫は若いころ、なかなか就職しなかった。
アルバイトをしながら、大学で勉強しており
30歳近くになるまで、ずっとアルバイト生活だった。
これに対して、夫の母親は
あまり感心していなかった。
でも、母親は息子に「早く就職しなさい」
なんて言うことは決してなかった。
30歳近くになってもアルバイトというのは
良くないと思う気持ちがあっても
成人した息子の意向を尊重して
息子がすることに
口出しすることは一切なかった。
もちろん、この国でも
小さな子供に対しては
親はコントロールをする。
子供に正しい行いを教えるためにも、
子供を危険から守るためにも、
必要な時には、親は子供に
「こうしなさい」と指示する。
これは、どこの国でも同じだろう。
でも、子供が16歳になった時点で
ニュージーランド社会は、
一人の独立した人間として扱う。
例えば、娘が医者に診て貰うのに
親の私が付き添った時の話。
当時、娘は18歳だった。
投薬すべきか否かで話し合いをした時、
私個人は投薬せずに
別の治療方法を選んだ方がよいと考えた。
しかし、娘は投薬を望んでいた。
それに対して、医師が言ったのは
「娘さんはもう大人なんだから、
彼女の意向に従うべきです。
親が決めるものではないですよ」と。
ニュージーランドでは18歳にもなれば
親よりも、本人の意向を大切にする、
と学ばせて貰った出来事だった。
夫の就職の件も、娘の投薬の件も
日本だったら、親が口出しする場合も
多いのではないかと思う。
私は、どちらの文化が良い、悪いと
言うつもりはない。
これは、単に文化的な違いだと思う。
それでも、人間関係で揉め事が生じた時
「バウンダリーの法則」を思い出せば
役に立つのでは? と思った。
口出しない方がよいことを
自分は口出ししていないか?
そのために、人間関係が悪化した
ということではないか?
考えてみることだ。
「バウンダリーの法則」は
人間関係を改善させる
ヒントになるかもしれない、と思った。
MOMOYOさん、役立つトークを有難うございました。
参考動画:「自分以外の人の人生をコントロールしない方がいい理由」
(ユーチューブ スピリチュアルヒーラーMOMOYOさん)