ニュージーランドで入院

大分昔のことだけど、
ニュージーランドで入院したことがあった。
子宮の外側に10センチくらいの筋腫ができて
腸を圧迫したため、排便が難しくなった。
そのため、子宮全摘の開腹手術を受けた。

私は日本では入院したことがない。
でも、同じ病気で、同じような手術を受けた
日本人の「入院生活日記」を事前に読んだので、
「だいたいこんな感じか」ということは
頭の中に入っていた。
しかし、国が違えば、同じ治療でも大分違う。
驚いたことも沢山あったので、今日はその時のことを。

鍵穴を開けて内視鏡による手術ならば
入院期間も短いと聞いた。
でも、私の場合は筋腫が大きすぎたので
鍵穴では難しいし、危険だと言われた。
そのため、お腹を大きく開いての手術だったが、
それでも、入院期間はたったの2泊3日。

手術前日に麻酔科医から電話があり
「当日午前10時以降は飲食禁止」と告げられた。
病院へ到着したのは昼過ぎくらい。
実際に手術室に入ったのは午後4時くらいだ。
それまでの間は、麻酔科医から全身麻酔の
説明を受けたり、看護婦さんに
浣腸して貰い、腸内を空にしたり。
後は病室に備え付けられた大きなスクリーンで
テレビをみて暇つぶしをした。

いよいよ手術の時間がきて
ベットごとガラガラ引かれて手術室へ。
事前に精神安定剤を服用していたので、
頭がぼ~としていて、緊張感はなかった。
麻酔科医の先生が
「大丈夫だから、何も心配しなくていいよ」
と優しく言ってくれた。
看護婦さんも私のことをハグしてくれた。

「点滴の管を入れるから、腕に注射するね」
と言われて、ちょっとチクりと感じたが
その後は、全く何も覚えてない。
意識が戻ったのは、約2時間後。
既に手術は終了していた。
全身麻酔は初めて経験したが、
とても不思議な感覚だった。
自分の感覚では、注射されてから
5分くらいしか時間が経っていないよう感じた。

私の場合は、全身麻酔だけでなく、
下半身麻酔も受けた。
手術終了後も痛み止めとして
下半身麻酔を継続したので
その晩、痛みに苦しむことはなかった。
血流を良くするため、両足にマッサージ器具
がついており、その音がけっこううるさい。
ほとんど寝ることなく、翌朝を迎えた。

朝一番に外科医が私の病室にやってきて
「もう、ガスは出た?」と聞く。
肯いたところ、「じゃあ、もう食べてもいいよ」とのこと。
それから1時間ほどして、朝食が届けられた。
シリアルにトースト、ヨーグルトやフルーツ類。
あとは紅茶とミルクが出てきた。
「これって、病人の食事と言うより
普通の朝食じゃん!」とビックリした。
日本で子宮全摘の開腹手術を受けたなら、
最初の食事は、水っぽいお粥のようだ。
ニュージーランドでは、手術の翌朝から
こんな消化の良くない食事が出てくるのだ。

正直、この朝食を食べる気にはなれなかった。
できれば、私もお粥のような軽いものが欲しかった。
仕方ないので、持参してきたプレーンビスケットをかじった。
食事制限がなく、持ち込み自由だったのは本当に良かった。
プレーンビスケットを少しづつかじる私を見て、
看護婦さんは言う。「アフガンビスケットや
ショートブレッドもあるわよ」と。
さすがに、油分の多いアフガンビスケットや
ショートブレッドなど食べる気にはなれなかった。

夕食はチョイスがあった。肉料理か、魚料理か、
ベジタリアンか、の3つから選ぶことができた。
私は魚をお願いした。白身の魚を蒸したものに、
野菜やポテトの煮たものが出てきた。
これも、典型的なニュージーランド料理としては
軽めではあるが、手術の翌日に食べるものではない
と感じた。
同じような手術を受けた人々が、
このような食事ができるのかどうか
私は大きな疑問を持つ。

手術の翌日の午後には
フィジオセラピーの専門家がやってきて
「さあ、歩く練習をしましょう」と
私を病室の外に出した。
歩行器に掴まって病院の廊下を
5分くらい歩いてみた。
最初は頭がクラクラしたけれど、
慣れてきたら、ゆっくりと歩けた。

そして、もうあと1泊して、
次の朝には退院ということになる。
「6週間は無理をせず、自宅療養してください」
と医師から言われた。
「やってはいけないことリスト」を貰い、
その中にあることは、家族にやって貰うように
と指示された。車の運転や、掃除機掛け
重いものを持つことなどが、リストの中に入っていた。

病院の雰囲気が好きでない私にとって
早くに自宅に戻れることは、ある意味、嬉しい。
でも、小学校低学年の子供たちを抱え、
最初の2週間くらいは、なかなか大変だったと記憶する。

こんな感じで、私の入院体験は終了した。
手術により、痛みで苦しいのではと心配したが、
思ったよりもラクで、快適な入院だった。
一番困ったのは、食事かな。あんなにヘビーなものを
食べられる病人はいるのか? と不思議に思う。
プレーンビスケットを持参して、本当に良かった。

ニュージーランドで生活を始めて
もうすぐ30年になる。
こんなに長い間、この国で暮らしていれば、
目新しいものはすっかりなくなり、
外国に住んでいるという感覚はない。
でも、入院した時には、
さすがにカルチャーショックがあり、
私は外国に居るんだな、としみじみ思った。
病気になって大変なこともあったけれど、
今となれば、面白い経験をしたと思う。

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