今回のテーマは
「多様性」についてです。
一口に「多様性」と言っても、
その中にはさまざまな形が
存在するでしょう。
この記事では、
私たちの目には見えにくい、
意見や考え方、価値観の多様性について
お話ししたいと思います。
日本とニュージーランドという
文化的背景が異なる二つの国での状況にも
触れてみます。
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皆さんは、
自分の意見が身近な人と対立し、
相手から「あなたは間違っている!」
と指摘された経験はないでしょうか?
私は日本に住んでいたとき、
そうした経験を何度もしました。
私の意見に対し
「いや、それは違うよ!
こう考えるのが正しい!」と反論され、
否定されたように感じ、
不快な気持ちになったことがあります。
私だけでなく、
私の日本の友人や知人の中にも
同様の経験をした人がいるため、
日本ではこのようなことが
珍しくないのかもしれません。
私は日本で20年以上、
ニュージーランドで30年以上を
過ごしていますが、
ニュージーランドでは
このような経験はありません。
意見の違いがあっても、
「あなたはそう考えるのですね。
でも、私は違う見解です」と
相違を示すことはあっても、
否定されたことはありません。
ニュージーランドでは、
異なる意見があっても、
互いに尊重する姿勢が
多く見受けられます。
自分が正しいと強調し、
他者を否定することは
少ないようです。
また、日本では、
異なる意見を持つ人に対して、
感情的になることや、
怒りを示すこともあります。
さらに、相手の人格を
否定するような対応をする人もいて、
これが人間関係の悪化に
つながることもあるのです。
ニュージーランドでは、
異なる意見があっても、
比較的寛容な態度を見せる人が
多いように思われます。
意見が違っても、
それが人格否定につながることは
ほとんどなく、
意見の相違が喧嘩に発展することも
まずありません。
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日本とニュージーランドは、
なぜこのような大きな違いが
あるのでしょうか?
それは、文化や教育の違いが
一つの要因だと思われます。
日本では、「皆同じがよい」
という考え方が
一般的に広まっています。
隣の人と違いがあれば、
「ああ、どうしよう」
と心配する人もいます。
逆に、同じであれば
「ああ、良かった!」
と安心する人もいるでしょう。
この「皆同じがよい」という思考は、
考え方や価値観にも
影響を及ぼしているのではないか?
と思います。
その結果、異なる意見を持つ人に
違和感を覚えたり、
不快に思うこともあるのです。
一方、ニュージーランドでは、
「皆同じがよい」という空気は
感じられません。
むしろ、他人と違うことを
価値あるものと
捉える人が多いです。
極端に変わっている人は
「ちょっと変だね」
と言われることもありますが、
それが非難や攻撃に
つながることは少ないです。
多文化が共存する移民の国である
ニュージーランドでは、
多様な文化的背景を持つ人々がいることが、
この寛容さに影響していると思われます。
さらに、日本の教育では、
「正解は一つだけ」という観点から
教えられることが多いです。
一つの正解にたどり着く方法を
教える教育スタイルが主流で、
これが「正しいことは一つしかない」
という考え方につながるのです。
また、教育内容も
個々の適性や能力に関係なく、
全員に同じことを教える方式が
採られています。
全員が同じ内容を同時に学び、
正解は一つだけとされることが
日本の教育の特徴です。
このような教育を受けると、
無意識のうちに
「正しいことは一つだけ」という思考に
染まってしまうのでしょう。
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しかし、全員が同じように考え、
同じ価値観を持つことは
絶対にあり得ません。
それにはいくつか理由があります。
まず、人はそれぞれ異なる環境で育ち、
異なる経験をしているからです。
同じ日本に住んでいても、
地域によって
気候や生活環境が大きく異なり、
人々の考え方や価値観の多様性を
生む要因となります。
たとえば、山間部で育った子どもと
都市部で育った子どもは、
自然や生活に対する見方が
まったく異なるでしょう。
さらに、育てられた親、受けた教育、
地域社会の影響が、
個々人の考え方や信念を形作ります。
性格や能力、資質の違いも、
考え方の多様性に寄与するでしょう。
趣味や好みの点でも、
私たちは千差万別で、
それぞれが違うものを好み、
楽しみます。
また、自分が属するグループや
社会的な地位や集団内での立場によっても、
人の見方や考え方は
変わってくるでしょう。
これらの要因により、
一つの事柄に対しても、
人はそれぞれ異なる見方や意見を
持つものです。
そのため、
自分が正しいと信じることが、
他の人にとっても
必ずしも正しいとは限りません。
自分と相手の考え方が
真逆であることも
まったく不思議ではないでしょう。
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多様性について考えるとき、
私たちは目に見えやすい
多様性についてよく語り、
そのような多様性を
受け入れる姿勢もあります。
たとえば、私の住む地域には
さまざまな国籍の人々が暮らしています。
ロシア人、ドイツ人、フィリピン人、
カンボジア人、ベトナム人、中国人、
日本人、南アフリカ人など、
多種多様な人種や文化、
生活スタイル、食文化、習慣を持つ人々がいます。
これらは誰が見ても明らかな
「多様性」であり、多くの人が
これに対しては寛容な姿勢を見せます。
しかし、考え方や価値観、信念
といった目に見えにくい「多様性」に関しては、
不寛容な態度を示す人も
少なくありません。
「私の考えは正しいが、
あなたの考えは間違っている」と言う人は、
この目に見えない多様性に対して
不寛容だと言えます。
それに対して、
「私はこう考えるけれど、
あなたはまったく別の考えを
持っているんだね。
色々な考え方があるものだね」
と割り切ることができる人は、
多様性に富んでいるでしょう。
現代社会において、
多様性が重視される中、
自分と異なる意見や考え方にも
寛容な姿勢を持つことが重要です。
自分の考えを
曲げる必要はありませんが、
自分の考えを尊重しつつ、
他人の考え方にも
敬意を示したほうがよいでしょう。
意見の違いは意見のレベルにとどめ、
人格を否定したり、
相手を非難したりすることは
避けるべきだと考えます。
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私たちの住む世界には、
多様な考え方や価値観が
存在しています。
それぞれの独自性が、
カラフルな世界を築き上げ、
魅力的なものにしているのです。
そう考えれば、
自分の考え方や価値観を大切にしつつ、
他人の異なる視点をも
尊重する姿勢が大切です。
お互いに寛容な心を持つことで、
平和で穏やかな人間関係を
築くことも可能になるでしょう。
豊かで幸せな社会は、
このような多様性の中から
生まれるのです。
私たち一人ひとりが、
多様な価値観に気づき、
尊重することによって、
幸せな生活を実現するための
重要な一歩を踏み出すことが
できるでしょう。
このテーマについては、
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動画のリンクは以下の通りです。
https://youtu.be/FNtS9TfUD68?si=4paAw6EIaAQG7rhf