Categories: メンタルヘルス

「自分ばかり悪いことが次々と起こる」と感じることが多い時に

他の人はそうではないのに、
自分ばっかり
良くないことが起きる。

こう感じるのが多い時、
もしかしたら、
自分の認知が原因かも?

「認知」は別の言葉では、
とらえ方、解釈の仕方、
物の見方のこと。

同じ出来事でも、
どのように解釈するかで、
自分の感じ方も大分違う。

====

たとえば、先輩から
「おい、これ危ないから、触るな!」
と強い口調で言われた場合。

1)先輩は自分が怪我しないよう
親切心で注意してくれている、
と解釈できる。

しかし、別の解釈も可能だ。

2)そんなの分かってる!
イチイチうるさい!
あの先輩は私に嫌がらせをしているのか?

1)の解釈をすれば、
先輩に対して、
そんなに嫌な気持ちにはならない。

しかし、2)のように受け取れば、
ネガティブ感情が湧き、
先輩に対して腹立たしく感じる。

全く同じ先輩の言葉でも、
自分がどうとらえるかで、
感じ方もかなり変わってくる。

====

上記 2)のケースでは、

先輩の注意の言葉(出来事)が
腹立たしい感情(自分の感情)を
引き起こす
と考えがち。

出来事と自分の感情が
一直線でつながっている
と思ってしまう。

しかし、実は、
これはちょっと違う。

実際には、
出来事と感情の間に
「解釈」というものが挟まっている。

腹立たしい感情は、
解釈によって生まれるもので、

先輩の注意そのものが
引き起こすのではない。

もっと言えば、
先輩の注意そのものは、
何も意味を持っていない。

意味付けしているのは
ほかならぬ自分自身だ。

日常生活の様々な場面で、
色々な出来事に遭遇する時、

自分が「どのように解釈するのか?」
によって、生まれる感情も
大分違ってくる。

ネガティブな解釈を
する癖があれば、

「私ばっかり…..」
と感じてしまうこともある。

====

それが証拠に
全く同じ出来事に遭遇しても、

人によって全然感じ方が違い、
その後の行動も
全く別のものになる。

その違いは「解釈」の違いだ。

たとえば、
仕事上で大きなミスを犯し、
会社に大損失を与えてしまった場合。

このミスは
社員Aと社員Bの
共同作業の場で起きた。

社員Aも、社員Bも、
上司からこっぴどく叱られた。

最初は2人とも、
とても落ち込んだ。

「会社に迷惑かけてしまった。
ああ、どうしよう」
と悔やんだり、反省したり。

しかし、数か月後、
社員Aと社員Bは、
全く違う様子で仕事している。

社員Aは未だに過去の過ちを
忘れることができず、
クヨクヨと悩んでいた。

それに対して、社員Bは
信じられないほど、
バリバリと働いていた。

社員Bは、
損失の埋め合わせをするくらい、
大きな業績を上げるようになった。

全く同じ経験をした2人なのに、
なぜ、こうも違うのか?

その違いは、
自分が犯したミスに対して、
2人のとらえかたの違いから来る。

社員Aと社員Bとでは
ミスに対する解釈が
全然違っていたのだ。

社員Aの解釈は、
「こんなに愚かなことをして、
会社に大損失を出させたのは、
自分のせい。自分はダメな人間だ。

自分は救いようもないバカだ。
僕の人生もうおしまいだ」
という風にとらえた。

それに対して、社員Bは、
「ミスを犯したのは
確かに良くなかった。

でも、今回の失敗により、
このようなやり方では上手く行かない
と分かった。

失敗はしたけれど、
今まで知らなかったことを
知ることができた。

今後は同じミスを犯さないよう
気をつけよう」と考える。

社員Bは、
今回のミスを学びのチャンス
ととらえて、
その後、頑張ることができる。

一時は落ち込むことはあっても、
直ぐに立ち直り、
今後の行動に修正をかけて、
前に進んでいる。

社員Aも、社員Bも
全く同じ出来事に遭遇しても、

彼らの解釈が違ったので、

全く違う風に感じて、
全く違う行動を起こし、

それにより、2人は
全く違う結果を出している。

====

出来事をどうとらえるか?
どう解釈するか?
どのような見方をするのか?

これが「認知」ということ。

「認知」について語る時、
こういうことを言う人がいる。

「要するに、物事を
ポジティブにとらえれば
いいんだね」と。

これはある意味、正解だが、
ちょっと違っている。

ネガティブに解釈する癖のある人に
「ポジティブ面もあるよ」
と気づかせるのは大切なこと。

しかし、「ポジティブ面だけを見ろ」
ということではない。

ネガティブ面も、ポジティブ面も
両方満遍なく見た方がよい
ということだ。

物事をニュートラルに
ありのままに客観視するのが
一番理想的。

なんでもかんでも、
ネガティブに解釈して、
暗い気持ちになる人は、

そういう思考の癖がある。

何かが起こるたびに
ネガティブに解釈していれば、

「なんで自分ばっかり」
と感じてしまうことになる。

しかし、ネガティブに偏り過ぎず、
もっとすべてを客観的に
満遍なくみれば、

「確かにそういう悪い事もある。
でも、良い面もあるから」

と冷静に正しい物の見方ができる。

そうなれば、
「自分だけではないな。
誰にでもこういうことは起きる」
と理解できる。

もし、自分が物事を
ネガティブに解釈する癖がある
と気づけたら、

今後は、少し物の見方を
変えてみるとよい。

違うように解釈する人に接して、
彼らがどういう風にとらえるか?
参考にさせて貰うとよい。

====

「あの人は、何事もポジティブに
とらえられる。
でも、僕はそうできない。

どうしても悪いように
見てしまう」と言う人がいれば、

そのことについて、
自分を責めなくてもよいし、
落ち込んだりする必要もない。

自分の解釈の仕方や
思考癖というものは、

幼少期から、育った環境に
大きく影響される。

具体的には、
自分を育ててくれた親が
ネガティブな解釈をする人なら、

当然、子供の自分も
同じような解釈をするようになる。

ネガティブに物事をとらえる
自分が悪いのではなく、

そういう風に育てられたから、
仕方ない。

でも、自分がネガティブに
解釈したり、思考したりする癖がある
と気づいたなら、

その時点で、自分のとらえかたや
解釈の仕方、物の見方を
少し変えたほうがよい。

そうすることで、
自分自身の感じ方も変わってくる。

感じ方が変われば、
自分が取る行動も変わる。

今までとは違った行動を取れば、
違った結果が得れる。

これにより、
自分の人生が良い方向へ
変わることもしばしばある。

====

透明な眼鏡ガラスをかけていれば、
見える物もそのままの色。

しかし、サングラスのような
暗い色の眼鏡を室内でかければ、

見える物も暗くなる。

どぎつい黄色の眼鏡ガラスなら、
見える物も黄色びて見える。

今まで、きっと
強い色眼鏡をかけていた人でも、

その眼鏡を外して、
透明なガラスに切り替えたら、

見える物も
全然違うように見える。

解釈を変えること、
とらえかたを変えること、
物の見方を変えることは、

「認知の歪みを正すこと」
につながる。

強烈な色眼鏡を外して、
透明な色のガラスの
眼鏡をかけることと似ている。

====

もちろん、すべてのことが
認知の歪みの問題だ
というわけではない。

でも、もし他の人はそうではないのに、
自分ばかりがツライ
と感じることが多ければ、

認知の歪みが原因のこともある。

立ち止まって、
自分はどんな解釈をしているのか?

他の人の解釈はどうなのか?

ちょっと考えてみるとよい。

とらえかた、解釈の仕方、
物の見方を少しだけでも変えれば、

ずっとラクになれるかもしれない。