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この思考癖が自分の人生を生き辛くしていた!

今回は、
自分がどんな思考癖を
持つかによって、
人生が生き辛くなったり、
ラクになったりする、という話。

良くない思考癖があれば、
現実が歪んで見えてくる。

それにより、
生きることが
シンドクなってしまうことも
しばしばあるからだ。

今回の話は
私自身が過去にしていた
望ましくない思考癖について
お話したい。

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まず最初に
「ゼロ(0)ヒャク(100)思考」。
別名「二分思考」とも
呼ばれるもの。

物事を判断する際、
ゼロ(0)か、 ヒャク(100)の
どちらかしかないという考え方。

これをしていれば、
ツライと感じることも
頻繁に起きる。

たとえば、
試験で不合格になった場合。

それまで一生懸命
頑張ってきたのなら、
誰もががっかりするだろう。

しかし、
ゼロヒャク思考をしていれば、
絶望の淵まで落ちてしまう。

仮に80点が合格ラインで
自分の点数が79点だとしても、
合格以外は「0点と同じだ!」とみなして、
気分が落ち込み、ふさぎ込む。

こうなったら、
今までの気力も失い、力が抜けて、
何もできなくなってしまうのだ。

逆に80点で
ぎりぎりで合格できた場合には、
有頂天になって喜び、
「100点」を得たような気分になり、
とてもはしゃいでしまう。

でも、よく考えたら、
これってかなり変ではない?

たった1点の差で、
天国に行ったり、地獄に落ちたり。

これがゼロヒャク思考の典型だ。

ゼロかヒャクしかない
という考え方。

本当は、不合格になっても、
失敗してしまっても、
それまで自分がやったことの中には、
良かった点や、素晴らしい点も
含まれているはずだ。

一生懸命やったから、
その中で色々学び、
自分を向上させた面もあるはず。

合格できなかったにしても、
今までの努力は
意味ないものではないし、
無駄になったわけでもない。

将来、意外な場面で
昔学んだことが役に立つことも
大いにあるからだ。

逆に、合格したり、成功しても、
自分がやったすべてが
完璧だったというわけでもない。

この世の中で起きることは、
「成功か? 失敗か?」
「合格か? 不合格か?」
「善か? 悪か?」
「正しいか? 間違っているか?」

どちらか一方でしか
判断しないのは、
適切でない場合も多い。

それなのに、
ゼロヒャク思考をしていれば、
極端な考え方にはまりやすく、

良い時には、必要以上に喜び、
悪い時には、必要以上に
悲しんでしまう。

ゼロヒャク思考では、
物事が歪んで見えるようになり、
実際の姿を捉えることも難しい。

それと同時に、
感情はポジティブ側にも
ネガティブ側にもドカーンと
大きく揺れ動くので、
自分がかなり疲れてしまう。

ゼロヒャク思考では
生き辛さが
どんどん増してゆくだけだ。

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私が以前していた
望ましくない思考の2つ目は、
物事を否定的に解釈すること。

別名「マイナス思考」
とも言われるもの。

同じ出来事を経験しても、
人によって解釈の仕方が大分違う。

その結果、出来事に対する
感じ方も随分異なるものになる。

私の場合は、何が起きても
ネガティブに解釈する癖があった。

たとえば、
困った時、誰かが優しい言葉を
かけてくれた場合。

私のことを助けてくれようと
しているのに、
私は変な解釈を
することも多かった。

「この人、何か企んでいるのでは?」
と他人を疑うことさえ
あったのだ。

他人から褒められても、
「どうせお世辞に決まっているから」
と思って、素直に喜べない。

また、自分にとって良いことが
幾つか重なることがあれば、
「こんな良いことばかりで、
本当に大丈夫なのだろうか? 
もしかしたら、この後に
不幸なことが起きるのでは?」

と喜ばしいことを
喜ぶどころか、不安な気持ちに
なることまであった。

今になれば分かるけれど、
私はかなり歪んだ解釈をして、
否定的に偏った観方をして、
自分をツラくさせていた。

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過去の私の「良くない思考癖」の
3つ目は、「べき思考」。

「~するべきだ」という
固定観念が強くて、
それに縛られていた時期も
長かった。

私の場合は、
「嫌なことがあっても、
ニコニコと笑い、
明るく振る舞うのが立派な人間だ」
という思い込みがあった。

そうできない自分は失格で、
立派ではなく悪い人間だ。

そんな自分は情けない
と自分を責める気持ちも
強かった。

その他にも
似たような不当な思い込みが
私の中にはたくさんあった。

たとえば、
女性は料理が上手に
できるべき。

子供ならば、両親を敬い
尊敬するべき、などと言うもの。

料理が苦手で
美味しいものが作れない私は、
自分は劣った主婦だと感じていた。

両親のことが大嫌いで、
尊敬できない自分は
人間失格だと考えたこともある。

自分の中に、
「こうあるべき」
「こうしないべき」が
幾つもあり、

あるべき状態にいない自分、
こうしないべきことを
どうしてもしてしまう自分がいて、

自分のことを責めて、
不必要に苦しめていた。

でも、冷静になって考えれば、
これらの固定観念は
必ずしも正しくはない。

ちょっと違うのでは?
と思われるものも
たくさんあるのだ。

子供の頃、親の影響を受けて、
「こうするのが正しい」
と自分に刷り込んだ後には、

疑うこともなく、
その後、ずっと「正しいこと」
として、当然のように信じている。

でも、
その当然と思われることが
本当は不当なことであり、

その不当なことで
自分自身を非難して
ツライ状態に追い込んでいた。

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癖というのは怖いもので
意識せずに
自然にやってしまうもの。

自分の思考癖に気づかずに、
それに基づいて、
物事を解釈したり、判断したり、
しているのだ。

思考癖が望ましくないものなら、
歪んだ現実を観て、
人生生き辛くしてしまうことも
珍しくない。

でも、自分が今までしていた
思考癖は適切ではなかった
と気づければ、
その後は、自分自身を救うことも
ラクにできる。

気づくことで
「ちょっと違うんじゃない!」
と自分に言ってあげれるからだ。

すると、現実の見え方も
今までとは少し違ってくる。

一旦身に付いた癖は
正そうとしても、
なかなか手放せないもの。

でも、その都度、自分で
「ちょっと待って、
今のは自分の悪い癖で
歪んだ物を見ているから、
そう感じるんだよ」

と再度自分に
気づかせてあげれよい。

そうしているうちに
良くない癖も徐々に
自分の中から消えてゆく。

そして、身の回りで
起きることに対しても、
全然違った観方が可能になる。

そうすれば、
自分自身の感じ方も
随分異なるものになる。

もし、あなたが
「人生生き辛いな」と
感じることが多かったら、

自分はどんな思考を
しているのか? 

自分から少し身を引いて
離れた位置から
自分自身を見つめるとよい。

そういう考え方をしていたから、
ツラくなってしまったのね
と理解できるだろう。

どんな思考癖があるかにより、
人生ツラくなったり、
ラクになったりするものだ。

これを機会に、
自分の思考癖がどんなものか?
気づくチャンスにしてみると
よいだろう!