身近にいる人が不運に見舞われたら、
「ああ、可哀そうに。気の毒だな」
と共感する気持ちはあっても、
腹の底では他人の不幸を喜ぶこともある。
慰めの言葉、お悔やみの言葉、
優しくいたわるような言葉をかけても、
それは表面的なものにすぎず、
心のどこかでは「ざまあみろ」
とまで思っていることもある。
口に出して言うことと、
心の内で正直に感じていることが、
あまりにもちぐはぐで、
変な気持ちになることもある。
だけど、多くの人間は、このように
心のどこかで腹黒い部分を持っている。
なぜ、そうなのだろうか?
それは、自分が心底満たされない時、
近くにいる人が
自分には手が届かないものを
手に入れて幸せになっているからだ。
結婚願望が強くて、結婚したいのに、
なかなか良い相手に恵まれず、
自分が結婚できない場合、
周囲にいる友人が結婚して、
幸せそうにしていたら、
自分はその友人の幸せを
心底喜んであげれるだろうか?
その友人が新婚旅行先で撮った
楽しそうな写真を見せてきたら、
自分はどんな気持ちになるだろうか?
表面上は、「おめでとう。
本当に良かったね。
私もあなたが幸せになれて、嬉しいよ」
と言うことはあっても、
心のどこかでは、友人の幸せが
不愉快に思えることもあるだろう。
こんな時に、
結婚生活が上手く行かず、
離婚を考えているような人に会えば、
「気の毒だな」と振る舞っても、
心の中ではその人の不幸を
喜んでいる場合もある。
人間は妬みの感情を持つから、
他人が自分よりもより良い状況にいたり、
より優れていたり、
よい恵まれた状態にあれば、
嫉妬心が生まれてしまう。
その嫉妬心が
「他人の不幸は蜜の味」
と感じさせるようになる。
他人と比較することは
良くないことだと思っていても、
やはり、近くに居る人たちと
自分とを比較してしまうのが
私たち人間だ。
自分の周りには
裕福な人たちばかりがいて、
自分の家だけ貧乏だったら、
引け目を感じたり、惨めな気持ちになる。
逆に、ご近所の人たちが所有していないテスラを、
自分だけが購入できたなら、
優越感を感じて、嬉しくなってしまうものだ。
他人との比較をしないほうが
人生ラクに生きられると知っていても、
なんだかんだ言っても、
やはり、他人と自分とを比較して、
喜んだり、悲しんだりするのが人間だ。
自分は他人よりも優っていたい。
他人ができないことを
自分はできるようになりたい。
特別な存在になりたいというエゴもあるから、
そのような気持ちになるのも、
ごく自然なことだ。
そういう自分を情けない人間だ
と責める必要はどこにもない。
では、「他人の不幸は蜜の味」は、
何時でも、何処でも、
誰もが感じることなのだろうか?
おそらく、私は違うと思う。
私が勝手に想像することなので、
正しいかどうかは分からない。
でも、そう感じない人もいるのだろう
と私は思う。
もし、本当の意味で、
自分が心底満たされていれば、
とても幸せに感じて、
自分の周囲にいる人たちにも、
同じように幸せになって欲しい
と願うものだ、と私は想像する。
「本当の意味で」という部分が大切だ。
なぜなら、自分の幸せを
勘違いしていることもあるからだ。
親や世間一般が考えるような幸せの状態に
自分が到達した時、
表面上、「自分は幸せだ」と感じるだろう。
しかし、この場合、
微妙なところで、何かが違う。
幸せなはずなのに、心底幸せを感じられない。
世間が言うところの幸せな状態、
両親が願うところの幸せな状態に
自分がなった時、
「やっと、自分も幸せになった」
と思うことがあるだろう。
しかし、これは勘違いにすぎず、
実は、本当の意味での幸せではない。
こんな場合には、
心のどこかでしっくりこないものがある。
だから、「他人の不幸が蜜の味」
と感じられてしまう。
そう感じるのは、自分が本当の意味で、
心底満たされいないからだ。
他人の不幸を心の中だけで
「ざまあみろ」と思うだけなら
そんなに深刻なことは起きない。
そう思うことはその人の勝手で、
周囲の人には迷惑がかからない。
でも、自分が満たされないから
周囲にいる不幸な人や
弱い立場にいる人たちに、
わざわざちょっかいを出して、
不必要に意地悪をする人もいる。
他人に自分の不満の矛先を向けて、
フラストレーションを吐き出す人もいる。
ここまで来れば、
その人の心は非常に病んでいる。
自分が満たされないために、
周囲に嫌がらせをして、
快感を得ているからだ。
今回、私が言いたいことは、
自分が本当の意味で満たされることは、
とても大切だということ。
自分が心底幸せな状態ならば、
「他人の不幸を蜜の味」
と感じることもないだろう。
また、近くにいる、
自分よりも立場の弱い者を
不必要に虐めることもなくなるからだ。
しかし、現実的には、多くの人は
本当の意味で心底幸せな状態ではない。
だから、「他人の不幸を蜜の味」と感じてしまう。
残念なことだけど、これが現実なのだと思う。