2015年6月末、
私たち家族の平穏な日常は、
一変して揺れ動きました。
当時、私はウェリントンにある
小規模なウェブ制作会社に勤め、
自宅でウェブサイト開発とデザインに
取り組んでいました。
いつも通りに自宅の作業スペースで
仕事に没頭していると、
突然電話が鳴りました。
その声の主は、夫の職場の上司で、
「Rさん(夫の名前)は今日、
出勤していますか?
探しても見当たらないのですが…」
という内容でした。
私は不思議に思いました。
なぜなら、その日の朝、
夫はいつもよりも早く出勤する
と言って家を出ていたからです。
何度も夫の携帯にかけてみましたが、
通常はすぐに応答してくれる彼からは
何の反応もなく、
そのまま留守電につながっていました。
夜になっても
夫は帰宅しませんでした。
何度も携帯に連絡を試みましたが、
一向につながる気配がありません。
普段から遅くまで仕事がある場合には、
必ず事前に知らせてくれる彼が、
このような状況で
音信不通になることはあり得ないと感じ、
不安が高まりました。
その晩、義理の弟とともに、
警察の協力を得て
夫の行方を必死で探しました。
夫の友人、職場の同僚、思い当たる範囲で
可能性のある全ての人々に
連絡を試みたものの、
夫の居場所についての手がかりは
一向に見つかりませんでした。
「一体、彼はどこに
消えてしまったのだろう?」と、
私は不安でパニックに陥りそうでした。
その夜は特に厳冬の中、
南極から吹く風が
冷たく肌を刺しました。
外で一晩過ごせば
凍死するかもしれないほどの
寒さだったのです。
夜が更けるにつれ、
私の心の中では
不安が募るばかりでした。
翌日の午後、夫は
自宅から10キロほど離れた場所で
発見されました。
前日早朝に家を出てから、
職場には向かわず、
近隣の山でウォーキングトレイルに沿って
ずっと歩いていたとのことでした。
持ち物は水のボトル一本と飴玉だけで、
貴重品は一切持参していませんでした。
彼はその日、極度に
精神的に追い詰められていたのです。
後に、夫は
重度の鬱病と診断されました。
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夫が行方不明となった時、
多くの方々が私たちのために
力を貸してくれました。
夫の弟家族をはじめ、その他の親戚、
警察、近隣の友人や知人、
そして子供たちの学校関係者など、
多くの方々から
温かいサポートを受けました。
そして、夫が無事に見つかり、
重度の鬱病という診断を受けたことを、
これらの方々に正直にお話しました。
すると、不思議な現象が起きました。
今まで親しく交流していた方々の中から、
「私もかつてメンタルの問題で
大変な時期がありました」と、
自らの経験を打ち明けてくれる方が
次々と現れたのです。
これほど多くの方が
同じような経験をしていたなんて、
私は本当に驚きました。
それまで、そういった話題は
一切することはなかったです。
しかし、「実は夫が鬱病で…」と
私が打ち明けたことで、
多くの方が自らの経験や思いを
共有してくれたのです。
この出来事は私にとって、
自分の子供時代の経験を
再考する良い機会となりました。
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中学生に進級した頃、
私を長い間苦しめてきた
身体の不調はかなり軽減され、
一見すると普通の日常を
送れるようになっていました。
小学校の高学年時代に
私が体験した出来事については、
周囲の目を気にし、両親からも
「その話は他者にしないように」
と繰り返し忠告されてきました。
「それは語るべきではない過去だ!
人には絶対に打ち明けてはならない!」
との言葉に、家庭内でも
その話題を少しでも口にすると、
両親は厳しく私を戒めたのです。
「過去の出来事は忘れ去りなさい!
あれほど恥ずかしい経験は
なかったことにしなさい!」と、
母から言われ続けてきましたので、
私もその記憶を封じ込め、
それを誰にも明かすことなく、
まるで存在しなかったかのように
振る舞ってきました。
もちろん、
記憶が蘇ることもありましたが、
そのたびに「その話はタブー」
と自分に言い聞かせて、
思考を遮断するように
努めてきました。
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夫が鬱病と診断された時、
私の周りでは意外と多くの人たちが
自分もメンタルの問題に
苦しんだ経験がある
と明かしてくれました。
その時、私は、
子供の頃に心の病で
普通の生活が送れなかった日々を
思い返しました。
そして、ひとつの大きな疑問が
心の中で湧き上がりました。
「メンタル疾患は
本当に恥ずべきことなのでしょうか?
私が子供時代に経験したことは
隠さなければならない恥で、
語ってはいけないこと
なのでしょうか?」
もし、夫の状態について
周囲に話さなかったら、
多くの親しい人たちが
かつて心の病に苦しんだことを、
私は知ることはなかったでしょう。
「メンタル疾患はタブー」
という考えが存在する限り、
私たちはどれだけ心が病んでいても、
気軽にそのことを
他人に話すことはできません。
もし自分の心の問題が露呈すると、
「失敗者」というレッテルを貼られ、
他人から嘲笑されるのではないかと恐れ、
その結果、誰にも相談できずに
ひとりで苦しむことになるのです。
しかし、
本当にそれでよいのでしょうか?
何か根本的に
誤っているのではないか?
と私はますます疑問を感じるように
なりました。
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夫の行方不明事件から
数カ月が経ったある日、
息子の学校から
痛ましいお知らせが届きました。
「J君が突如として
この世を去りました」
という内容でした。
たった15歳で、J君は
自らの命を終えてしまったのです。
息子とJ君は同じクラスで
仲良くしていました。
J君は明るい性格で、
学業成績も優秀で、一見すると
何の悩みもないような好青年です。
しかし、心の中では
深い苦しみを抱えており、
苦しんでいたのでしょう。
その辛さを
周りに伝えることができず、
一人でその苦しみを
孤独に耐えていたのでしょう。
表向きは元気でも、
心の中ではどれほどの寂しさや
痛みを感じていたことでしょうか。
息子からJ君の話を聞いたとき、
私の胸は締め付けられるように
痛みました。
子供のころの私も、
孤独や絶望感に満ちており、
その重さに
押しつぶされそうになったことが
ありました。
自らの命を終わらせることが
唯一の解放の道ではないかとさえ
思ったこともあります。
心の問題がタブーとされる現状では、
それに苦しむ人々は
その悩みを
隠さなければならない風潮が
あります。
孤独に病気と闘っているうちに、
耐えきれなくなり、
多くの命が失われてしまう
のではないでしょうか?
私たち社会は、
この問題を隠すのではなく、
真摯に向き合わなければならないと、
私は強く思いました。
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人生には予期しない出来事が
数多く起きます。
どんなに順調に生きている人でも、
突如として災難に見舞われることも
考えられます。
私たちの周りでは
何が起こるか分かりませんし、
その中でメンタルを病む方が出てくるのも
当然のことなのです。
だからこそ、
メンタル疾患に悩む人を非難したり、
馬鹿にするのは
適切ではありません。
メンタル疾患は、人間ならば誰しもが
経験する可能性があるものです。
今は元気でも、
将来どのような状況になるか、
誰もが分からないのです。
メンタル疾患はタブーではありません!
当然、
それを恥じる必要もありません!
間違った社会風潮を変え、
孤独に苦しむ人が一人でも減るよう、
私はこれからどう行動すればよいかを
考えています。
一人の力は限られていますが、
自分の経験を共有することで、
何かを始めるきっかけに
なるかもしれません。
その一歩として、この記事を
書いてみることにしました。
私たちが
自分のメンタル疾患について
安心して話せる社会になることを、
心から願っています。