今回は、病気になって、
気を落としている人に
向けた話。
きっと、あなたは
とてもがっかりしている
ことだろう。
しかし、
別のとらえ方をすれば、
病気も悪いことばかりではない。
なぜなら、病気は、私たちに
大切なことを知らせてくれる
メッセージになり得るから。
具体的にどんなことだか
説明したい。
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病気になれば、
身体に不調を感じて、
様々な不具合も起こり、
苦しいし、シンドイ。
身体が悪くなれば、
心も弱気になって、
「もう自分はダメかも」
と落胆してしまう。
「どうして、自分ばかりが
こんな目に遭うんだろう!」
と嘆きたくなる。
普通は、
病気を「悪」だと思い、
忌み嫌ってしまいがちだ。
しかし、病気は
大切なメッセージを
知らせてくれるサイン
かもしれない。
「今の状態は、
望ましいものではない」
と教えてくれるサインだ。
更に言えば、
この望ましくない状態から、
もっと良い状態に
変わった方がいい!
と変化を促してくれるものだ。
そのサインに気づいて、
自分なりに改善して、
変わることができれば、
将来的には、想像もしなかった
素晴らしい結果が待っていた
なんてこともある。
短期的には、
病気に苦しめられて、
散々な思いをしても、
それを機に、
望ましくない状態から、
望ましい状態に変われた。
そのお陰で、将来自分は
好都合な状況に入れたり、
良い方向へ導かれたりする。
その時にはシンドクて大変でも、
長期的目線では、
「結果的には良かった」
と喜べることもある。
なぜなら、
病気になることがなければ、
今でも自分は
望ましくない状態のままで
いたであろうから。
その結果、
取り返しのつかないことに
なっていたかもしれないから。
病気があったからこそ、
「このままではダメだ。
変わる必要がある」と思って、
心を入れ替え、
好ましい方向へ
変化を起こすことができたからだ。
そう考えれば、病気はギフト。
病気に感謝したい気持ちが
生まれても、不思議ではない。
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たとえば、
メンタル疾患に
罹ってしまった場合。
働き方や、考え方や、
人間関係において、
無理や軋轢が重なり合い、
極度なストレス状態に陥り、
その結果、病気が発症する。
仕事が忙しいからと言って、
長期間、睡眠時間を削り、
休息を取ることもなく、
無理に無理を重ねて、
自分に鞭を打ち、
働き過ぎてしまった
なんてことはないだろうか?
人間関係に悩み、
憂さ晴らしに
飲酒量が徐々に増え、
そのうち、
アルコールに依存するようになった
ということはないか?
ゼロヒャク思考、二分思考、
完璧主義など
極端な物の考え方をしていて、
そのせいでストレスを溜め込み、
積もり積もったストレスが
ある日突然爆発したということは
ないだろうか?
病気になった原因は、
人それぞれ違う。
しかし、いずれの場合でも、
「今の状態は良くないですよ」
と知らせてくれるために、
メッセージとして
病気は警告サインを
送ってくれたのだろう。
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病気になれば、通常は
薬を服用する。
病気を治すためには
薬が有効だからだ。
しかし、薬だけでは
なかなか良くならないこともある。
その理由は、
病気の根本原因を
見ていないからだ。
病気が起きた背景にあるものを
どうにかしなければ、
治るものも治りづらくなる。
今までのやり方や考え方が
良くなかったせいで
病気になったのなら、
その部分を修正しなければ、
たとえ一時的に快方に向かっても、
また再発するだろう。
過労により発症した場合、
病気が治った途端、
再び元の生活に戻れば、
そのうちにまた、
同じように過労が原因で、
具合が悪くなるだろう。
病気をきっかけに、
「こんなに自分を
酷使してはダメだ」
ということを学び、
過度な労働をやめることが
必要とされている。
メチャクチャな生活習慣のせいで
病気になってしまったなら、
回復後はきちんと
生活習慣を見直して、
健康的に生活しなければ、
せっかく治った病気が
再び戻って来てしまう。
なぜなら、
今までの望ましくない状態が
そのままであり、
全く改善されていないから。
望ましい状態に
変化させるまで、
同じような体調不良が
続くことだろう。
病気をきっかけに、
今までのやり方は
望ましくないと知り、
働き方や人間関係の在り方、
マインドセットを見直して、
良くない状態から、
望ましい状態に変化できれば、
病気はギフトとなり、
最終的には、私たちを良い方向へ
導いてくれるようになる。
私たちに「良い変化」を
促してくれるのが病気だ
と考えることもできるのだ。
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これは私の体験談。
私はもともと甘い物好きで、
若い頃にはチョコレートやケーキ等
スイーツを心ゆくまで楽しんでいた。
新製品のお菓子が出る度に
直ぐに飛びつく。
オヤツの時間に食べるだけでなく、
夕食後にもお菓子箱を開けて、
バクバクと底なしで食べていた。
私が住むニュージーランドでは、
甘いお菓子が沢山売っていて、
周りの人たちも、甘い物好き。
一緒につられて食べているうちに、
43キロだった体重が、50キロに。
それでも気にせず、
ずっと食べ続けていたら、
50キロから55キロ。
体重はジワジワと増加を続け、
気がつけば、
68キロにまで上がってしまった。
身長152センチ。体重68キロ。
さすがに身体が重くて、
立ち上がるのも、ちょっと大変。
妊娠中には妊娠糖尿病になり、
医者から厳しい食事制限を
強いられることになった。
この時、本当に
「なんで、こんなことになるのか!」
と病気が悪に思えて、仕方なかった。
お腹に赤ちゃんがいれば、
無性にお腹が空く時期もある。
それでも、3度の食事を
満足に食べれることも許可されず、
ビスケット、チョコレートなどの
お菓子類は一切禁止。
お腹が空いても、「これしか
食べちゃダメ!」と厳しく言われ、
相当ヒモジイ思いをした。
カフェやレストランの近くを
通り過ぎる度に、
悲しい気持ちになり、
涙が出てくることもあった。
そんな私は、糖質と炭水化物を
かなりカットした食生活を
暫くすることになった。
最初のうちは
本当にシンドかった。
食べたいのに、
食べられないことが原因で
感情的に不安定になったこともある。
しかし、その厳しい
食生活に耐えたお陰で、
徐々に体重も落ちてきて、
血糖値コントロールも
上手く行くようになった。
慣れはスゴイもので、
お菓子を全く食べない生活も
今では全然平気になった。
食べたいな~と強く思うことも
ほとんどない。
「このままでは、50代になった時、
二型糖尿病になる確率は80%!」
と医者から告げられたが、
50代後半の今、
そんな様子も全然ない。
今、その当時を振り返れば、
正直、愕然として、
「なんて自分はツイていないんだ!」
と嘆く気持ちでいっぱいだった。
ひもじさと、悲しさで、
気分が晴れない日も多かった。
しかし、これがあったからこそ、
私は悪い食生活から抜け出して、
今は非常に健康的な
生活ができている。
あの病気があったから、
望ましくない状態から、
望ましい状態に変化できたのだ。
私は、最終的には20キロ減に成功して、
それ以降、ずっと一定の体重を
維持できている。
今では身体の重さもなく、
若い頃よりも、
身軽に動けるようになった。
もし、あの時、
妊娠糖尿病になることが
なかったら、今の自分は
どんな状態だっただろうか?
おそらく、未だに
スイーツをバンバン食べて、
もっともっと体重を増加させ、
良好な健康状態から
ほど遠かっただろう。
病気のサインを無視して、
良くなかった点を改めることなく、
そのままずっと放置していれば、
取り返しもつかない
大変な状態に追い込まれていた
かもしれない。
糖尿病は病気が進んでも
なかなか症状が出ないもの。
オカシイなと感じた時には、
かなり病気が進行していることも
しばしばだ。
合併症を引き起こして、
網膜症を患い、失明することも
珍しくない。
神経障害が出て、足えそが起こり、
足の一部を切断するという
状況にもなりかねない。
考えただけでも、
ゾッとすることだ。
このような状態になるのを
防げたのは、
妊娠糖尿病になったのをきっかけに、
悪い食生活から、
望ましいものに変えることができたお陰だ。
「妊娠糖尿病!」と医者から
告げられた時には、
何も食べれず、悲しく、
ひもじく、最悪だと
病気になったことを恨んだが、
それから20年以上経った今では、
あの時の病気のお陰で、
自分は救われたと感じている。
あの病気がなければ、
自分は悪い食生活を
そのままずっと続けていただろう。
そして、その結果、
今はもっと大変なことに
なっていただろう。
病気は私が良い方向へ
変わるためのきっかけを
与えてくれたのだ。
確かに、その当時は
短期的には苦しかった。
しかし、もっと長い目で見たら、
病気があったお陰で、
良い方向へ変化できたので、
私にとって、この病気は
ギフトだと思えるようになった。
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正直言って、病気になれば、
あまり良いことだとは
考えられない。
それは普通だ。
「最悪だな」と嘆くことも
あるだろう。
しかし、その時には、
ツライ病気だと感じられても、
あとになって、
病気のお陰で助かった
と思えることも起き得る。
その病気があったお陰で、
自分は良い方向へ
変わることができ、
その結果、長期的には
望ましい状態になれる
こともある。
そう考えれば、
病気は必ずしも
悪者だとは言えない。
「今のあなたの在り方は
改善が必要だ」と
教えてくれるサインだからだ。
そのサインを見逃すことなく、
それなりの改善をして、
それまでの良くない状態から、
もっと望ましい状態に
変わることができたなら、
病気は私たちに
素晴らしいものを
提供してくれたと喜べる。
病気というチャレンジに
立ち向かうのは、
なかなか大変なことは確かだ。
しかし、そのお陰で、
将来的には自分が得することに
なるのなら、
病気を全面的に否定して、
忌み嫌わなくてもいいだろう。
もし、今、
病気になって落ち込んだり、
がっかりする人がいたら、
ぜひ、このことを
思い出して欲しい。
病気は自分に警告サインを
送ってくれている
かもしれない。
そのサインに気づいて、
良い方向へ変われたら、
病気はギフトになり得るのだ。