Categories: メンタルヘルス

「自分はダメだ」と卑下する人が、幸せになる方法とは?

今回は、
「自分はダメだ! 最低だ!」
と自分を情けなく感じる人が、

どうすれば、
自分を卑下することから
抜け出して、幸せになれるか?
について。

劣等感が強い人の中には、
「もっと立派になろう」、
「もっとできる人になろう」と、

自分を向上させるのに、
必死になって頑張る人がいる。

向上したいという気持ちは
素晴らしいが、

それ以前に、
もっと大切なことがある。

その大切なことに
気づくことなく、

がむしゃらに頑張って
前に進んでも、

それにより
満たされることはない。

やはり、心のどこかでは
不足感があり、

「まだまだ自分はダメだ」
と落ち込む気持ちが強い。

傍から見れば、普通の人。

本人が思い込むほど
ダメな人間ではないのに、

その人は劣等感に苛まれ、
自己否定する気持ちが強い。

今の自分の状態を快く
受け入れられないのだ。

こういう感じだと
幸せに生きることは難しい。

どうすれば、
このような不足感から抜けだし、

心の平安を
得られるのだろうか?

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自分を情けなく感じやすい人は、

悪いところ探しの
名人になっている。

本来、人間は誰でも、
良い面、悪い面、

得意なこと、不得意なこと、
できること、できないこと、

優れた面、劣った面の
両方を持ち合わせている。

しかし、自分を卑下する人は、
自分のネガティブ面しか注目せず、

ポジティブな部分を
全く見ていない。

自分に対して
歪んだ認知を持ち、

その歪んだ認知で
「自分は無能な人間だ」
と勝手に決めつけている。

自分の悪いところ、
できない部分だけに

スポットライトを当てて、
そこばかりを見ている。

いつもいつも
悪いことばかりにフォーカスして、

「だから自分はダメなんだ」
と嘆いている。

良いことだってあるのに、

良いことには
全然目を向けない。

これは一種の「癖」だ。

悪いところ探しをする癖だ
と言ってもよい。

しかし、本人は
自分のこの癖に気づいていない。

爪を噛む癖と同じように、
一旦、癖になってしまえば、

無意識にやるようになり、

自分がそうしていることさえ
自覚していない。

悪いところを探しては、
「ああ、自分はダメだ」
と情けなく思う。

まずはこの癖に
本人が気づくことが必要だ。

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なぜ、そんな癖が
ついてしまったのか?

それは、おそらく子供の頃、
親や学校の教師に影響されて、
そうなったのだろう。

できないことばかりを
指摘されて、

それを直すよう、
正すように
教育されてきたのだろう。

できるのは当然。

できないのは問題。

できない部分は
克服して、

できるようになった方がいい。

こんな感じに
教え込まれてきたのだろう。

時には近くにいる
同年代の子供と比べられ、

「~ちゃんは、
こんなに優秀なのに、
あなたはできないでしょ…」

と言われて、
惨めな気持ちにさせられた。

常に人と比較して、
他人の方が自分より
できることがあれば、

「自分はダメなんだ」
と落ち込んでしまう。

悪いところ探しの名人が
できないことばかりに
注目するのも、

このような背景があったから、
仕方ない。

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とは言え、
「私がこうなってしまったのは、
お前のせいだ!」

と今更、親や教師を責めても
何も始まらない。

それよりも、この悪い癖から
抜け出すことを
考えたほうが賢明だ。

悪い癖から抜け出るために、
役立つことが幾つかある。

まず最初に
白か黒で物事を判断することを
やめることだ。

何かをやる際、
一生懸命頑張っても
結果的に失敗することもある。

しかし、たとえ結果が
失敗に終わっても、

やっているプロセス中には
上手く行った部分、良かった部分も
必ずあるはずだ。

自分がその課題に
真剣に取り組んだこと自体、
良かったと言えないか?

悪いところ探しの名人は、
こんな時には、
「失敗」の部分しか見ず、

自分が一生懸命やったことを
忘れてしまう。

なぜなら、その本人のマインドが
「白か黒」、「成功か失敗」でしか
判断できなくなっているからだ。

こんな場合、
「部分的に見ること」
を取り入れた方がいい。

この部分は良くなくて、
改善の余地はあるが、

別の部分では
なかなか上手く行っていた、

というように、
一つの事柄でも、

「良い」か「悪い」の
どちらかではなく、

良い部分と悪い部分と
部分的に見て行くことだ。

良い部分と、悪い部分を
両方とも満遍なく見れれば、

失敗したからと言い、
「自分はダメだ」と
意気消沈することもない。

良かった部分もあるから、
その部分に関しては
喜んでもいいのだ。

そして、もちろん、
良い部分は今後も
続けていくようにする。

改善の余地がある部分は、
どうすれば、より良くなるか?
考えてみて、

次回は別のやり方で
試してみることだ。

それにより、
悪かった部分が

次には良い部分に変わることも
期待できる。

良いことも、悪いことも、
両方公平に見れれば、

気分的にも落ち着ける。

事あるごとに、
最終的な結果だけを見て
一喜一憂するのではなく、

一つの事柄を分解して、
良かった部分、悪かった部分の
両方を探す習慣をつけることだ。

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いきなり
「良かった部分も見よう!」
と言われても、

悪いところ探しの名人は
そうすることが難しい。

悪いことばかりを
探すことに慣れているので、

自然の状態では、
良いことを見つけるのが苦手だ。

そんな場合に役立つのは
一日の終わりに、

「今日あった良いことを
3つ探すゲーム」をするとよい。

小さなことでいいので、
その日に起きた良いことを
3つ選ぶ練習をするのだ。

「今日は上司に叱られて、
散々な日だったな」と思えても、

「ランチで食べたラーメンが
美味しかった」とか、

「入り口でドアを開けてくれた
親切な人がいた」とか、

「お天気が良く、
お日様の光が気持ちよかった」など、

些細なことでも、
良かったことはあるはずだ。

最初はこじつけでもいいから、
とにかく「小さな良いこと」を
意識して探してみることだ。

ゲーム感覚で
「良いところ探し」を
するようになれば、

いつの間にか、
悪いことのみならず、
良いことにも目が向くようになる。

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「ああ、自分はダメだな」
と落ち込みやすい人に
お勧めするもう一つのことは、

「小さな目標を持つ」こと。

ネガティブなことを
言う人に限って、

目標設定が非現実的なほど
高いことも多い。

あまりにも高い目標を立てれば、

今の自分とのギャップが
大きすぎることになり、

その結果、「自分は全然ダメ」
と感じてしまうのだ。

これを避けるためには
目標は意識して低く立てること。

ちょっとだけ
自分が背伸びすれば、
達成できるほど低くする。

「いや、私はそんな小さな目標では
嫌なんです」と言うかもしれない。

でも、ちょっと待って!
その小さな目標が最終ゴールではない。

小さな目標を達成後には、
次にまた別の小さな目標に移れる。

大きな目標を
自分のムリない程度に小さく分けて、

小さな目標を次々とこなしていけば、

最終的には大きな目標を
達成することも可能だ。

たとえば、最終目標地点が
100だとしたら、

いきなり100を目指さないことだ。

最初の小さな目標は10に設定する。

これなら自分とのギャップも少なく、
大きな負担を感じずに達成できる。

そして、10まで行けたら、
次は20に設定する。

小さな目標でも達成時には
脳内ではドーパミンが分泌されて、

小さな喜びと充実感を
味わうことが可能だ。

小さな目標でも、一つずつ
クリアしていければ、

やがては大きな目標達成の地に
辿り着ける。

小さなステップを
繰り返し踏むうちに、

自分でも驚くほど
高い位置に行き着くことも可能だ。

この点でも、子供の頃、
親や教師により

「目標は大きい方がいい」
と教わったのだろう。

だから、それを信じて
非現実的なほど高すぎる目標を
立てていた。

大きな目標の方が
エネルギーを出しやすい人も
確かにいるが、

「自分はダメだ」と
自分を卑下するタイプの人には、

大きな目標を立てることは
あまりお勧めできない。

自分に大きな負担のない
小さな目標を沢山クリアした方が

自分に対する感じ方も改善され、

より満足感を得られる。

良い気持ちで徐々に
前に進みやすくなる。

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ということで、
今回の話をまとめれば、

「自分はダメだ」と劣等感が強く、
自分を情けなく思う人は、

まずは、
自分が「悪いところ探しの名人だ」
と気づくことが重要。

人間誰でも、漏れなく、
悪いとこしかない人はいない。

良い部分やできることも
必ずあるはずだ。

この癖に気づいて、
悪いところ探しをやめれば、

より幸せな気持ちで
満たされることも可能だ。

そのために役立つのは、
白黒ですべてを判断する癖を
捨てること。

一つのことでも
良い部分と、悪い部分と
満遍なく見るよう努めること。

「今日あった良いこと3選」
のゲームを始めると効果的。

良いところも
目につくよう練習するのだ。

また、
目標は高すぎず、
ムリなくできる
小さな目標設定に変えること。

小さな目標を次々とクリアしながら、

徐々に大きな目標に近づく
というアプローチを取る。

この姿勢で物事に臨めば、
「自分はダメだ」という気持ちも
薄らいでくる。