学校や職場などの集団の中に、
おちゃらけて笑いを取り、
場を和ませてくれる
ピエロ的な存在はいないでしょうか?
ムードメーカーとして人気者である一方で、
その人自身が見えないところで
生きづらさを抱えていることがあります。
この記事では、そんな人たちの
背景にあるものや抱えがちな問題、
また、少しでもラクに生きるための
ヒントを探ります。
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道化バランサーとは、
集団の雰囲気が沈んでいるとき、
自分を“オトシ役”にして、
わざとバカなことをしたり、
コミカルな動きで笑いを誘ったりしながら、
その場を和ませる人のことを指します。
たとえば、空気が重たくなったときに、
「自分が変なキャラを演じれば、
きっとみんなが笑ってくれる」と思い、
あえておどけてみせるのです。
周囲からは、
「あの人がいると場が明るくなる」
「笑わせてくれるから助かる」
と好意的に受け取られることも多いでしょう。
しらけた空気を察知すると、
「じゃあ、ちょっと俺が
バカなことをやってみようか」
と自らネタ役を引き受けるのです。
また、誰かが落ち込んでいるとき、
「ここで自分が一発芸でもやって盛り上げれば、
元気になってくれるかもしれない」と、
すぐに動いて笑いを取ろうとする人もいます。
このように、道化バランサーは、
誰かがつらそうな顔をしていたり、
場の空気がしらけそうになったり、
険悪なムードになりかけたりしたときに、
すすんで“笑いの橋渡し役”を
買って出るのです。
こうした存在は、集団の中で
潤滑油のような役割を
果たすことが少なくありません。
重苦しい話題や
トラブルが起きた場面でも、
道化バランサーが
明るさを取り戻してくれるおかげで、
人間関係のギクシャクを
避けられることもあるでしょう。
本人にとっても、
みんなが明るく笑ってくれているのを見ると
「よかった、楽しそうで嬉しい」と感じ、
そこに達成感を見出しているのです。
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道化バランサーのような人を見ると、
「いつも明るくて
ハッピーな人なんだろうな」
と思うでしょう。
けれど、実はそうとは限りません。
本人がはっきりと自覚していなくても、
心の奥では
「ずっとこのキャラでい続けるのはつらい」
と感じていることがあるのです。
それでも、そのキャラを
手放せない理由があります。
おちゃらけてバカをやることでしか、
自分の居場所を確保できない――
そんな感覚を抱えているからこそ、
キャラをやめることには
強い不安や恐れがつきまとうのです。
道化バランサーも人間ですから、
いつも元気で
いられるわけではありません。
ときには疲れたり、落ち込んだり、
悲しくなったりすることだって
あるでしょう。
そんなときにも、
おちゃらけキャラを演じ続けるのは、
大きな負担になるはずです。
それでも、
笑わせたことでみんなが喜んでくれたら、
「よかった、自分の努力が報われた」
と感じて達成感を味うのです。
その達成感が励みとなり、
無理をしてでも
キャラを続けようとするのでしょう。
そして、
そうしたふるまいがすっかり習慣となり、
他人との関わりの中で、
そのキャラ以外の自分を
出せなくなっていることもあります。
そのことが、知らず知らずのうちに
本人を追い詰めてしまうのです。
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道化バランサーとしてふるまう背景には、
幼少期の家庭環境が
深く関わっていることが少なくありません。
たとえば、
家の中がいつも暗い雰囲気だったり、
両親の仲が悪く、毎日のように
言い争いが続いていたりすると、
子どもは「このままでは
家族がバラバラになってしまうかもしれない」
という不安を抱くようになります。
とはいえ、
幼い子どもにできることには
限りがあります。
大人のケンカを止める力も、
家庭を理想的な形に変える力もありません。
そこで子どもは、
「せめてみんなが笑ってくれたら」と願い、
おちゃらけたり、
わざとバカなことをしてみせたりして、
重たい空気を和らげようとするのです。
たとえば、
両親がピリピリしているとき、
自分が変な踊りをしてみたり、
わざと失敗して「ドジだなあ」
と笑いを誘ったりします。
その場の空気が少しでも和らぎ、
家族の笑顔が戻れば、
「自分の行動が役に立った」
「ケンカが止まった」
という手ごたえを感じます。
そういった成功体験が積み重なると、
子どもは似たような場面で、
自然と同じ行動を
取るようになっていくのです。
こうした経験を繰り返すうちに、
そのふるまいが習慣として身につき、
成長してからも、
学校や職場など新しい集団に入るたびに、
「みんなを笑わせることで
自分の居場所をつくろう」
とする傾向が続いていくのでしょう。
そして、
場を盛り上げる“道化”としての役割を、
無意識のうちに果たしているのです。
周囲を笑わせることで、
自分が仲間外れにされることなく、
むしろ人気者として扱われるため、
その喜びが行動をさらに強化します。
学校では「おふざけキャラ」として
クラスを明るくし、
「あの子がいると楽しいね」と言われたり、
職場では幹事や宴会の
盛り上げ役を任されたりして、
頼りにされる場面も増えていくでしょう。
その結果、「自分はこうして
笑いを届けることでこそ、
価値を発揮できるんだ」という思いが強まり、
道化バランサーというスタイルが
しっかりと定着していくのです。
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場を明るくし、
まわりの雰囲気をなごませる――
そんな道化バランサーのふるまいには、
実は見過ごされがちな問題点が
いくつもあります。
まず大きなリスクは、
「まわりの空気を優先すること」
に慣れすぎてしまうと、
自分が本当に何を感じているのか、
何を望んでいるのかが、
わからなくなってしまうことです。
自分の気持ちや願いが
後回しになり続けるうちに、
「自分らしさ」を
見失ってしまうことさえあります。
また、道化バランサーを続けることで、
まわりから「あの人はいつも明るいから大丈夫」
「何があっても笑い飛ばしてくれる」
と思われやすくなります。
すると、悩んでいるときやつらいときでも、
「こんなことで弱音を吐くなんて
思われたくない」「空気を悪くしたくない」
と無理を重ね、
ひとりで抱え込むようになってしまうのです。
さらに、いつも場を盛り上げ、
笑いを提供していると、
「あの人は強い人」
というイメージが定着してしまいます。
一見、良いことにも見えますが、
実際には
「弱音を吐く隙を与えてもらえない」
「本当は誰かに頼りたいのに、
誰にも気づいてもらえない」
といった孤独を生みやすくなるのです。
愛されキャラとして
まわりに笑顔を与えながら、
自分はひっそりと孤独を感じている――
そんな矛盾を抱えている人も
少なくありません。
さらに問題なのは、
道化として場を和ませることが、
一時的な空気の修復にはなっても、
根本的な問題の解決には
つながらないという点です。
たとえば、
深刻なトラブルが起きている場面で、
一瞬の笑いが場の緊張をほぐしたとしても、
問題の本質には誰も触れないまま、
「まあ、雰囲気がよくなったし、もういいか」
と流されてしまうこともあるでしょう。
結果として、
本来向き合うべき課題が先送りされ、
同じようなトラブルが
何度も繰り返されることにも
なりかねません。
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道化バランサーが
生きづらさを抱えずに過ごすためには、
まず「他人の感情の責任まで
自分が負わなくてもいい」という視点を
持つことが大切です。
特に、誰かがケンカをしていたり、
落ち込んでいたり、
不機嫌になっている場面で、
「自分が笑いでなんとかしなきゃ」
と焦ってしまうのは、
道化バランサーに特有の
思い込みかもしれません。
たとえば、AさんとBさんがケンカをして、
まわりの空気が気まずくなっているとします。
そんなとき、道化バランサーの人は
「このままだと、みんながつらくなる。
自分が場を盛り上げなければ」と考え、
わざとおどけた発言をしたり、
笑いを取ろうとしたりするのです。
確かにその瞬間は、
ふたりの口論が
一時的に収まるかもしれません。
でも、それは
問題の本質が
解決したわけではありません。
本来、その問題は
当事者同士が
きちんと話し合って向き合うべきものです。
道化バランサーは
「自分がなんとかしなければ」
と感じてしまうのですが、実際には
他人の感情は本人が向き合うべき課題です。
第三者が無理に
笑いで場をまとめようとしても、
ケンカの理由や不機嫌の原因が
なくなるわけではありません。
むしろ、道化役が介入することで、
当事者が自分の感情や問題と
向き合うきっかけを失ってしまう
可能性さえあります。
覚えておくべきことは、
他人の感情は、
あくまでその人のもの
ということ。
相手に落ち込む理由があるのなら、
それを受け止め、
どう乗り越えるかを考えるのは、
その人自身の役目です。
どれだけ道化バランサーが頑張っても、
当事者の問題が先送りになるだけで、
結局また同じようなトラブルが
繰り返されることもあるでしょう。
だからこそ、
道化バランサー的な人は、
「それは自分の役目ではない」
と知っておくことがとても大切です。
自分がしんどくなってしまう前に、
その線引きを意識することが、
道化バランサーが
ラクに生きるための
ヒントになるでしょう。
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道化バランサーというスタイルが
習慣になってしまうと、
「自分にはこのやり方しかない」
「もしやめたら、
みんなに嫌われてしまうかもしれない」
と不安になることがあるかもしれません。
それでも、
なんとなく生きづらさを感じているなら、
一度立ち止まって「道化役を降りてみる」
という選択肢に
目を向けてみる価値があるでしょう。
たとえば、
場の空気がよくないと感じたとき、
いつものように
ボケたり笑いを狙ったりするのを、
思いきって一時停止してみるのです。
最初はそわそわして、
静まり返った空間や誰かのイライラに
「何かしなきゃ」
と落ち着かなくなるかもしれません。
でも、そこでぐっと踏みとどまって、
「他人の感情はその人自身が向き合うもの」
と意識してみることです。
すると意外にも、自分が動かなくても、
まわりが自分たちの力で
問題を乗り越える姿を
目にするかもしれません。
そして、
「自分がいつも笑いを提供しなくても、
ちゃんと場はまわっていくんだ」
と気づける瞬間が訪れるでしょう。
そもそも、
道化バランサーとして場を読み、
ツッコミやボケを瞬時に繰り出せるのは、
頭の回転が速く、賢さが備わっている証です。
その力を、笑いだけにとどめてしまうのは
少しもったいない気もします。
もし道化の仮面を少しだけ外してみたら、
自分には他にも得意なことがあったり、
意外な才能を生かせる場所が
見つかるかもしれません。
笑い以外の方向にも、
自分の力を試してみるのは、
新しい自分との出会いにも
つながるでしょう。
さらに、信頼できる友人や家族には、
あえて笑いを取らず、
正直な気持ちを伝えてみる習慣を
持つことも大切です。
「実は最近、ちょっと疲れていて……」
「いま少しだけつらいんだ」
そんな言葉を口にする勇気が、
新しいつながりを生むこともあります。
そして、
もし相手が真剣に耳を傾けてくれたなら、
「笑わせなくても
受け入れてもらえるんだ」という、
今までにない安心感を味わえるでしょう。
そうした小さな体験の積み重ねが、
「いつも笑わせていなくても、大丈夫」
と思える自信につながり、
自分らしさを
取り戻していく一歩になるのです。
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この記事では、集団の中で
ムードメーカーとして活躍する
「道化バランサー」のような存在に
焦点を当て、
その背景や抱えがちな問題、
そしてそこから自由になるための
ヒントについて考えてきました。
道化バランサーは、
「みんなを笑顔にしてくれる人」
「クラスや職場に欠かせない人」といった、
明るく前向きな評価を受けやすい存在です。
実際、場が盛り上がり、
まわりの人たちが一瞬でも
嫌な気持ちを忘れられるのなら、
それは素晴らしい貢献だと言えるでしょう。
しかし、その裏で本人が
「自分の本当の気持ちを見失っている」
「他人の感情まで背負ってしまう」としたら、
そのままでは、じわじわと
生きづらさが
積み重なっていくことになります。
もし、自分に
そうした傾向があると感じたら、
なぜ今のような在り方になったのか、
その背景に目を向けてみてください。
そして、
生きづらさを少しでもやわらげるために、
小さな行動から
始めてみるとよいでしょう。
たとえば、
「他人の感情は、その人が向き合うもの」
「自分がすべてを背負わなくていい」
といった視点を持ってみるのです。
さらに、場の雰囲気が悪くなったときに、
すぐに“和ませ役”として動くのではなく、
「今回は、やらなくてもいいかもしれない」
と立ち止まってみることも有効です。
いきなり大きな変化を
起こす必要はありません。
まずは「無理せずやめられる場面では、
やらないようにしてみる」。
そんなふうに、自分にできる範囲から
少しずつ実践していくうちに、
「自分が動かなくても、
集団は自然にまわっていくんだ」
という当たり前の事実を、
実感できるようになるでしょう。
そして、
道化役から一歩離れてみたときこそ、
本当の自分自身に出会える瞬間が
あるでしょう。
普段はおちゃらけていた人が、
実は真面目な話もできると気づけば、
まわりの人も
新たな魅力を見出してくれるかもしれません。
何より、自分自身が
「道化でなくても、ここにいていいんだ」
「別の自分でも、
ちゃんと受け入れてもらえるんだ」
と思えたなら、
生き方の幅はぐっと広がります。
もし今、道化バランサーとして
しんどさを抱えているのなら、
「全部を自分で背負わない」
「他人の感情を引き受けすぎない」
「ときには本音を言ってみる」――
そんな小さな変化から始めてみてください。
道化の仮面をそっと外し、
自分の本当の気持ちや思いに触れられたとき、
初めて「自分らしく生きる」という感覚を
味わうことができるでしょう。
自分を犠牲にしなくても、
まわりとあたたかな関係を築くことは
できるのです。
そのことに気づけたとき、
あなたは自分の人生を生きる一歩を
踏み出していると言えるでしょう。