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その指摘、善意の指摘? それとも悪意のもの? はっきりさせよう!

誰かから何らかの
指摘を受けた場合、

それは善意で
してくれたものなのか?

それとも、
指摘に絡めた
悪意ある攻撃なのか?

はっきり見定めて、

適切な対処をすることは、
とても重要だ。

これが今回のテーマ。

この話は、
人間関係のトラウマを
持つ人に向けたもの。

人間関係のトラウマがあれば、
指摘された際、

単なる指摘なのか?

善意ある指摘なのか?

それとも、
指摘という名の攻撃なのか?

はっきりせずに、
不適切な行動を取り、

周囲の人たちを混乱させ、
迷惑をかけることも多い。

どんなタイプの指摘なのか?
明らかにして、

それに相応しい
対応をした方が賢明だ。

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たとえば、カフェに入って、
「このテーブルでお茶しよう」と決め、
椅子に座ろうとした途端、

カフェのスタッフから
「ああ、すみません。
そこはダメです。
あっちの席に座ってください」
と言われた場合。

すんなり「はい、分かりました」
と指示された席に
移れる人もいれば、

酷く気分を害して、
怒ってしまうお客もいる。

職場で先輩から
「ここは、こうした方がいいよ」
と指摘された場合、

素直に
それに従える人もいれば、

不愉快な気分になり、
先輩に対して
嫌な感情を抱く人もいる。

指摘したカフェのスタッフも、
職場の先輩も、
何も悪気はない。

カフェのスタッフの場合は、
「単なる指摘」であり、

職場の先輩の場合は、
善意あるアドバイス的な指摘だ。

しかし、受け取り側は
ネガティブに解釈して、

クレームをつけたり、
失礼な態度を取ったりして、

お互いに嫌な気分になる。

そのせいで
人間関係が悪化することも
珍しくない。

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相手は決して敵意があったり、
悪気があったりして
注意したわけではない。

でも、なぜだか
攻撃されたような気分になり、
不適当な対応をしてしまう。

これは、人間関係の
トラウマを持つ人たちに
よく見られる現象だ。

なぜ、そうなのか?

それは、トラウマから来る
「認知の歪み」が原因だ。

その歪みのせいで、
指摘を受けた際に、
拒否された感覚を覚える。

実際は、指摘の内容以上のことは
意味していないのに、

勝手に
自分自身が否定された
とまで感じている。

「その席に座ってはダメ」
と言われた時には、

「そこに座ることはしないで」
とお願いされただけ。

それなのに、受け取り側は勝手に
「自分はこのカフェでは
歓迎されていないんだ」
と解釈している。

職場の先輩からの指摘は、
「このことについては、
こうやった方が上手く行く」
と親切心で教えてくれただけなのに、

自分の仕事のやり方全般が
否定されたような気になり、

勝手に強いネガティブ感情に
襲われている。

カフェのスタッフも、
職場の先輩も
自分を傷つけるつもりは
1ミリもない。

でも、自分は非常に傷つき、
ネガティブな妄想まで膨らませて、

相手に対して
攻撃的になったり、
無視したりしてしまう。

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このような反応をする人の多くは、
過去に人間関係において
傷つけられてきた歴史がある。

その時の心の傷がそのままあり、
癒されていない。

だから、ちょっとしたことでも、
昔の嫌な出来事を連想させるような
物事に対して、強い反応を示す。

毒親に常に否定されまくり、
ツライ幼少期を送ってきた人や、

学校や職場で
悪質な虐めを受けた人は、
こういう風になりやすい。

仕方ないと言えば
それまでだが、

自分はそういう傾向にある
と認識した方が、

自分のためにも、
周囲の人たちのためにも役に立つ。

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人間関係のトラウマがある人は、
指摘を受けた際に、
気をつけるとよいことがある。

まず最初に、単なる指摘や
善意ある指摘でも、自分にとっては、

それが昔の嫌な出来事を思い出させる
きっかけになりやすい事実を
受け入れること。

そして、意識して、
これは単なる指摘なのか?

善意でしてくれた
アドバイスなのか?

それとも、指摘という名の
悪意ある攻撃なのか?

その区別を
はっきりさせることだ。

時には、悪意ある
攻撃の場合もあるが、

いつでもそうではないことを
覚えておくとよい。

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では、具体的に
区別するポイントは何か?

単なる指摘や、
善意ある指摘の場合には、

「この点が~だったから、
こうした方がいい」
と指摘点だけに限られている。

しかし、指摘点と一緒に
「いい年して、
そんなことも分からないの?」
と呆れた態度を見せたり、

「女の子なのにね~」とか、
「社会人として、どうなんでしょう」
というような言葉を発せられたら、

これは悪意ある攻撃であり、
指摘と言う名前を使って、
相手は自分を責めている
と思っていい。

単なる指摘、善意ある指摘は
指摘する内容にとどまり、
それ以上、余計なことは言われないはず。

ここが大切な見極めポイントだ。

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単なる指摘・善意ある指摘か?

それとも
悪意を込めた攻撃的指摘なのか?

見極めが済んだら、
適切な対処方法を取ることだ。

単なる指摘、親切心から来る
アドバイス的指摘の場合には、
真摯に向き合った方がよい。

その一方で、
指摘を悪用した攻撃の場合には、
向き合うことなく、
スルーするのが一番だ。

そんな相手と喧嘩したところで、
何も良いことは起きない。

嫌な気分に襲われて、
貴重な時間とエネルギーを

非建設的、非生産的なことに
奪われてしまうだけだから。

なるべく、攻撃する人から
距離を置くとよいだろう。

この世の中には、
善人もいれば、悪人もいる。

建設的な批判をしてくれる
有難い人もいれば、

何か文句つけたいけれど、
単に文句は言えないから、

相手の小さな落ち度を利用して、
指摘の名で悪質な攻撃をする人もいる。

自分に指摘する人が、
どちらのタイプか正しく判断して、

適切な対処をすることは、
自分のためにもなるし、
周囲の人たちにも役に立つ。

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今回の話をまとめれば、

1)人間関係のトラウマがある人は、
指摘を受けると、
常にネガティブに捉える傾向がある。

2)しかし、実際は、
単なる指摘にすぎないもの、
善意があるアドバイス的指摘
のこともある。

3)もちろん、本当に
悪意が込められた
攻撃的な指摘もある。

4)自分が受けた指摘が
どのタイプの指摘なのか
意識してはっきりさせることは
とても大切だ。

5)単なる指摘、善意ある指摘なら、
その指摘に真摯に向き合うといい。

6)しかし、指摘という名の
攻撃の場合には、スルーして、
極力攻撃する人から離れること。

7)指摘の類を見極めるポイントは、
指摘内容だけが
言及されているかどうかだ。

8)これを気をつけるだけでも、
人間関係も改善されるし、
自分の信用度も上がる。