今回は、
スピリチュアルの落とし穴
について考えてみます。
スピリチュアルとの
向き合い方を誤ると、
思わぬ弊害が
生じることもあるからです。
実際、私自身も過去に
その落とし穴に
落ちた経験があります。
しかし、今では
より健全な形で
スピリチュアルを取り入れ、
その弊害を克服できた
と思います。
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私がスピリチュアルに
最初に惹かれたのは、
今から大分前のことです。
当時の私は、
不安や心配が絶えず、
精神的にも脆弱でした。
人間関係の悩みも重なり、
生きづらさを感じながら、
失望感や無価値感に
苦しんでいました。
そんなとき、
「すべてを宇宙に任せればよい」
という言葉を耳にし、
そのシンプルさと安心感に引かれて
スピリチュアルの世界に
惹かれていきました。
人生には山あり谷あり、
予測不能な出来事が
次々と訪れます。
逆境に見舞われ、
自分の力だけでは
どうにもならないと
感じることもあるでしょう。
そんなとき、
スピリチュアルに
救いを求めるのは
自然なことです。
スピリチュアルによって
生きる気力を取り戻し、
日々の生活を
乗り越える助けとなるなら、
それは悪いことではありません。
苦しい時期において、
スピリチュアルが心の支え
となるのは確かでしょう。
しかし、長い年月を経て、
多くの人々と出会い、
さまざまな経験を積む中で、
スピリチュアルを追求する際の
注意点にも気づきました。
スピリチュアルが助けとなり、
健全な付き合い方ができれば
素晴らしいのですが、
注意を怠るとその落とし穴に陥り、
弊害を招く危険もあるのです。
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スピリチュアルに
夢中になる人の中には、
現実逃避をする人も
少なくありません。
目の前の問題から
目を背ける手段として
スピリチュアルを
使っているのです。
たとえば、日常生活で
何らかの問題で
酷く悩んでいるとしましょう。
できるなら、その問題に向き合い、
どう対処して、どう改善してゆくかを
考えたほうがよいでしょう。
しかし、そうせずに
「すべてを宇宙に
お任せすればいいんだ」と言い、
現実的な問題に
向き合うことから
逃げてしまうのです。
自分自身の問題に
向き合うことは、
とてもつらいプロセスだからです。
そんなとき、
スピリチュアルの世界に
逃避することで、
面倒でつらいプロセスから
目を背けるのは楽なので
誘惑されるのでしょう。
しかし、このような
スピリチュアルの依存は、
あまり望ましいものではありません。
本来は、
目の前の問題に向き合い、
対策を考えて実践したり、
今の状況を改善するために
試行錯誤をしながら、徐々に
問題解決に向けて動くことが
望ましいです。
それなのに、
そういった努力を放棄して
現実逃避のために
スピリチュアルに逃げ込むなら、
問題も解決されず、
事態は改善されないでしょう。
一方で、スピリチュアルの考え方を
現実に向き合う原動力に
することも可能です。
その場合、問題解決のために
自分ができることを
精一杯頑張ってみることを
怠りません。
問題はすぐには
解決されないかもしれませんし、
そのプロセスではつらいことがあり
心が傷つくかもしれません。
しかし、「宇宙は私の努力を
見ていてくれる」
「宇宙のはからいを信じて、
自分なりに精一杯頑張ろう」と思い、
人事を尽くして天命を待つ
という姿勢で生きられるのです。
これは望ましい
スピリチュアルの取り入れ方だ
と言えるでしょう。
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私自身も経験したことですが、
最初にスピリチュアルに
惹かれたとき、
私はこの落とし穴に陥りました。
それは、
スピリチュアルに目覚めた自分が、
スピリチュアルに目覚めていない人よりも
優れているという優越感覚です。
「自分は宇宙の真実に目覚めたのだ。
まだ目覚めていない人たちよりも
一歩も二歩も進んでいる」
と感じることで、
自己愛を満たしていたのです。
しかし、その優越感の背後には、
劣等感や無価値感、
悲しみや不安などが隠れていました。
これらの受け入れがたい感情が
強ければ強いほど、
「スピリチュアルに目覚められた自分は
優れている」と思いたい感情が
増してゆきます。
スピリチュアルな考え方をしない人を
見下していた時期もありました。
「この人はスピリチュアルのことが
理解できないんだ。
私とは波動が違うんだ」といった
傲慢な気持ちが
心の中に潜んでいたのです。
もちろん、そんな姿勢では、
良い人間関係を築くことは
できません。
今では、不安や心配、劣等感、
無価値感など、
感じたくない感情とも向き合い、
自分自身を受容していくことの大切さを
実感しています。
スピリチュアルを使って優越感に浸り、
自己愛を満たすことは
望ましくなかったと感じています。
スピリチュアルに
目覚めている人もそうでない人も、
どんな人でも宇宙から同じように
愛されている存在なのだ
と考えるほうが、健全で妥当な考え方だ
と思うようになりました。
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スピリチュアルな考え方には、
「望みを宇宙にオーダーし、
あとは宇宙に任せるだけでよい」
というものがあります。
自分がやることは
望むことをオーダーするだけで、
あとは何もしなくてもよい
と考えるのです。
これは魅力的ではありますが、
現実にはうまくいきませんでした。
スピリチュアルトークをする人で、
大きな夢や希望を叶えている人が
「オーダーするだけで十分だ」
という話をしているのを
聞いたことがあります。
その人自身がそうやって
夢や願望を実現できているから
と言うのです。
しかし、客観的に見れば、
その人は実際に
さまざまな行動を起こしています。
本人は自分で
行動していることを
あまり自覚していないようですが、
彼女は多くの行動を
積極的に行っています。
望むことを
心にリアルに描いているので、
自然とやるべきことがわかり、
それを自然な形で
行っているのでしょう。
結果的に、夢や願望が
実現しているのだと
考えられます。
私たちが住む地球では、
単に心の中で願うだけでは
望みは叶いません。
たしかに、ポジティブな思考や
願望を具体的にイメージすることは
願望を実現させるためには
役立つでしょうが、
それに加えて行動も必要です。
目標を達成するためには、
自ら積極的に行動し、
努力を続けることが欠かせません。
行動を伴わない願望は
ただの夢想に過ぎず、
現実に変えるためには
具体的なステップを踏むことが
求められるでしょう。
したがって、
スピリチュアルなアプローチを
信じる一方で、現実的な行動も忘れずに
取り入れることが大切です。
スピリチュアルな信念を持ちながらも、
実際の行動を怠らないことで、
夢や願望を現実のものにできる
と私は信じています。
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スピリチュアルの
もう一つの落とし穴は、
依存的になりやすい
ということです。
これはカリスマ的リーダーに
盲目的に従う従者に似ています。
自分の知りたい答えを
カリスマ的リーダーが
すべて提供してくれるため、
自分で考えなくても済むのです。
これはとても楽で
簡単なので
誘惑されやすいですが、実際には、
自分の頭で考えることを放棄し、
他人依存の人生を
送ることになりかねません。
「これは宇宙からの
メッセージなんだ。
疑いようのない真実なんだ」
というように盲信してしまうと、
思考停止状態になり、
理性の力が働かなくなるでしょう。
カリスマ的リーダーから
言われたことを
そのまま鵜呑みにしてしまうのが
危険なのと同様に、
宇宙からのメッセージに
依存してしまえば、本当の意味で
主体的に生きられなくなります。
日常生活で
さまざまな問題に直面したとき、
私たちは自分の頭で考え、
葛藤を通して自分なりの答えを
見出していくことが望ましいです。
そうすることで理性も感性も鍛えられ、
心の声を聞く直観力も
磨かれるでしょう。
葛藤しなくて済むのは
楽ではありますが、
それに頼ってしまえば、
自分以外のものに
依存するような生き方に
なってしまいます。
これでは主体的に生きることも、
自分らしく生きることも
不可能になるでしょう。
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この記事では、
スピリチュアルの落とし穴
について焦点を当てました。
スピリチュアルを絶対視して、
それ自体が目的となってしまうと、
さまざまな弊害が生じるでしょう。
具体的には
現実逃避や優越感、行動の欠如、
依存といった弊害が
生じる可能性があります。
スピリチュアルを
現実逃避の手段ではなく、
現実に向き合うための
原動力として
活用したほうが賢明でしょう。
自分を含め、すべての人が
宇宙から同じように
愛されていると考えることで、
人間関係もより良好になるでしょう。
夢や願望を心に描くだけでなく、
それを実現するための
具体的な行動を起こすことも
大切です。
スピリチュアルを盲信して
依存的になるのではなく、
自分の頭で考え、
葛藤を経験しながらも
自分なりの答えを見つけるときの
原動力として
スピリチュアルを活用することで、
より健全な生き方ができるでしょう。
スピリチュアルと現実世界は
相反するものではありません。
上手に付き合うことで、
両者は相乗効果を生み出し、
私たちの人生を
より充実させてくれるでしょう。