これって誰のせい? 自分を責めたり、他人を責めたり。でも、本当は?

身の回りで不都合なことが起きたり、
トラブルがあったりした場合、
「自分が悪いのだろう」と思い込み、
自分を責める人がいる一方で、
「自分は絶対に正しい」と主張して、
その原因を他人や環境のせいにする人もいる。

でも、多くのことは、
特定の一人だけが原因ではなく、
込み入った人間関係や事情、状況、環境が
複雑に絡み合って起きる場合がしばしばだ。

それなのに、なぜ、
自分責めで苦しんでしまう人もいれば、
他人や環境を責めて、
自分は正しいと言い張る人がいるのだろうか?
この違いは、いったい何なのだろう?

私個人の意見ではあるが、
「どのように育てられたか?」
で自分を責めるのか? それとも、他人を責めるのか?
の違いが出るのでは?と考える。
もちろん、生まれながらの性格や気質も
多少は影響するだろう。
しかし、親からどのように接しられたか?
のほうが大きな影響を与えると思うのだ。

幼少期に親から肯定的な言葉で
育てられたか?
否定ばかりされて育てられたかで、
自分のすることに自信が持てるか決まる。
子供の頃、何をやっても否定されることなく、
常に褒められ励まされてきた人は
大人になっても堂々としていて、
自分のやることに自信が持てる。
そして、自分自身のことが大好きだ。
自分のやることは正しいと確信でき、
自分自身を疑うことはほとんどない。

その一方で、何をやっても
親からダメ出しばかりされてきた人は、
自分の考えや行動に確信が持てず、
間違ったことをしていなくても、
ミスしていなくても、
物事がスムーズに行かなくなれば、
常に「自分が間違っているから。自分が悪いから」
という結論を出してしまう傾向にある。
自分自身に満足できず、自己肯定感も低い。

これは最近、私が仕事上で経験したことだ。
とても重要なデータの一部が
突然、消えてしまった。
どう考えてもオカシナ現象だ。
自分は何も不適切なことをしていない。
そして、チームメンバーの人たちも
データを削除することはないだろう。
「なぜ、こんなことが起きたのか?」
色々考えていたら、
私は大きな不安に襲われて、
パニックになっていた。
自分は何も悪いことをしてないのに、
自分が何かをやらかしたに違いない。
データ消失の原因を自分にあると考えて、
ああだこうだと悩み始めた。

普通に考えれば、
自分は何も不適切なことをしていなければ、
「自分に非があるのだろう」
なんて一ミリも考えなくてもよいはずだ。
しかし、私の場合は、
不都合でオカシナ現象が起きたとき、
最初に思い浮かぶのは、
「自分が何かをやらかしたに違いない」
と心配してしまうことだ。

冷静に考えれば、
自分がするはずがないことまで、
「自分が悪いのかもしれない」
と疑って、何が悪かったのか?
考え始めることは、かなり変な話だ。
何も悪いことをしていなければ、
そんな心配などする必要もないだろう。

しかし、私は不都合が起きたとき、
いつもいつも「自分がやったのでは?」
という考えが一番最初に頭に浮かぶ。
なぜ、そうなのかは、
幼少期から親にそのように
育てられたからだろう。

私の親はかなりの完璧主義で、
子供の私にも常にパーフェクトを期待した。
私は要領が非常に悪い子供で、
何をやっても不器用にしかできなかった。
そのため、親からはいつもダメ出しを食らっていた

時には普段よりは少し良くできたこともあったが、
それでも親のスタンダードを満たすことはなく、
「よくやったね」と言っては貰えなかった。
そのため、私は「自分は何をやってもダメな人間だ。
能力が低くて、何もできない人なんだ」
と思い込み、劣等感が強く、
自己肯定感の低さで大変苦しんできた。

こういう背景があれば、
物事が順調に行かない時、
「自分に非があるから、そうなった」
と考える癖がついてしまう。

今回のデータ消失については、
チームの一人が正直に
「私がミスって削除してしまった。
迷惑かけてごめんなさい」と謝ってくれた。
そのお陰で、私もほっとできたが、
誰もが正直に言ってくれるわけでもない。
人によっては、自分がミスしても、
「私のせいではない」と言い張り、
絶対に自分は間違いないと自信を持つ人もいる。

そんな場合には、自信のない人が
その原因だと思われてしまう。
もじもじしているから、「あいつがやったんだ」
と勝手に決めつけられることもある。
悪くなくても、自信がないために、
損してしまうことになる。

昨日はデータ消失について、
考えることが沢山あった。
確かにミスして削除した人が悪いと言える。
しかし、よく考えれば、
簡単に削除できてしまうシステムの構造自体が
問題ではないか?と思えた。
つまり、誰か一人が悪いというよりも、
トラブルの原因はシステム自体にあるということ。

日常生活や仕事上のことで、
色々良くないことが身の回りで起きる。
そんな時に常に「誰が悪いか?」
私たちは犯人捜しをしてしまいがちだ。
私のように常に「自分に問題があるのでは?」
と心配してしまう人もいれば、
「~さんのせいだ」と他人責めをして、
自分は悪くないと言い張る人もいる。

今回私が言いたいことは、
自分責め、他人責めで
常に結論を出そうとすることなく、
もっと広い視野で、
問題の根本を考える姿勢の大切さだ。

それと同時に、
親から否定され続けて育った人は、
不必要に自分責めをする傾向にあること。
これに気づき、自責の念で不必要に苦しまないこと。
トラブルや不都合は、
たった一人に責任がある場合よりも、
もっと大きな環境内で根本的な問題があることも多い。
その点、よく考えることが必要だ。

自分責め傾向がある人は、
トラブルが起きるたびに心配したり、
自分だけを責めたりしないよう意識すること。
また、いつも他人のせいにする人も
必ずしも特定の一人が
悪いわけではないことに気づくこと。
今回のデータ消失事故で、
これらの大切さを痛感した。