一生懸命頑張って
自分の夢や目標を達成できたのに、
なぜか幸せを感じられない。
夢や目標に向かって、
一歩一歩着実に進んでいるのに、
なんだかしっくりこない。
幸せなはずなのに、幸せを感じないのは
多くの人が経験するようだ。
この場合、なぜ幸せを感じられないのか?
これを考えることが、今回のテーマだ。
私が勝手に考えることなので、
単なる一個人の意見として
聞いて頂ければ、幸いだ。
自分の定義した幸せの条件を
自分は満たしているのに、
心底幸せだと感じられないのは、
その幸せの定義は、実は自分のものではなく、
自分以外の誰かが決めたものだからだと思う。
「幸せになるためには~が必要だ。
~して、~である状態が幸せの条件」
と幸せがどんなものだか、
自分自身で決めたと信じていても、
実は違う場合もある。
親や教師、友人、知人、親戚の人たち、
社会一般の言うことに強い影響を受けて、
本当は自分の幸せではないのに、
それが自分の幸せだと勘違いしている。
つまり、偽物の幸せ情報に騙されている
ということだ。
この世の中には偽物の幸せ情報が
沢山溢れかえっている。
生まれた時から大人になるまで、
そのような情報にずっと触れてくれば、
当然、それが真実だと思い込まされる。
つまり、洗脳されているということ。
昭和中期生まれの私が
日本で暮らした頃には、
次のような社会風潮があった。
一流大学に進学することは非常に重要だ。
なぜ一流大学なのかは、
卒業後、一流企業に就職するためだ。
一流大学へ合格するためには、
学校で優秀な成績を収める必要がある。
だから多くの学生が塾に通い、
隣の席のクラスメートよりも、
一点でも多く取れるように、必死に頑張った。
一生懸命勉強して、名門大学に入学して、
卒業後は「良い会社」に就職する。
そこでどんどん昇進して、給料も上がり、
マイホームを購入する。
そして、ある程度の年齢になったら、
結婚して、子供を作り、
勤め先からは安定した収入を保証されて、
家族円満に暮らすことが幸せになること、
というのが社会一般が考える「幸せの定義」だった。
こういう社会風潮の中で、
このような道に進むことが
幸せになるための条件だと洗脳されれば、
自分でもそう信じるようになる。
周りの人々の影響を受けて、
見栄とか世間体とかに囚われて、
偽りの幸せの定義を
自分のものだと思い込んで努力する。
しかし、本当はそれが自分の幸せではないので、
目標達成できても、幸せを感じられない。
「幸せ」は主観的なものであり、
世界中の誰もが同時に肯くような
「これが幸せ」というものはない。
その人が「これで自分は幸せ」
と感じることが、その人にとっての幸せだ。
つまり、幸せの定義は人それぞれ違い、
その本人が自分自身で決めることだ。
見栄とか世間体に囚われず、
しっかりと自分軸を持っていて、
こういう偽の幸せ情報に惑わされず、
自分が心底やりたいことをしている人は、
本当の意味で幸せを味わうことができる。
ただ、世間一般からすれば、
こういう類の人たちは「非常識」に見える。
「結婚したいけれど、結婚できない」
と嘆く人たちがいる。
そういう人たちの多くは
「結婚すれば、幸せになれる」
と信じ込んでいる。
なぜ、そうなのかは
社会風潮によるところが大きい。
親や親戚がプレッシャーをかけて、
「結婚しなければ、幸せになれない」
というメッセージを送っていることもしばしばある。
好きな人がいて、
その人と一緒に人生を歩みたい
と望むのなら、是非、結婚したほうがよい。
しかし、そんな相手もいないのに、
「ある程度の年齢になったから、
結婚できなければ、不幸だ」
と考えてしまうのは、とんでもないことだ。
結婚したところで、幸せになる保証はない。
嫁姑関係で苦しむかもしれないし、
子供が生まれれば、色々問題が起きて、
子育てで苦労するかもしれない。
社会一般では「結婚することで一人前になり、
幸せな家庭を築くことが、
一番理想的である」と言われていても、
結婚することで、必ずしも
自分にとって一番良い人生になるわけではない。
本当に幸せな人は、
結婚してもしなくても、
子供がいてもいなくても
そんなことは全く関係ない。
自分の幸せの定義がはっきり見えていて、
それに従って、自分が幸せになれるよう
生きているので、幸せなのだ。
社会風潮というものは、
人を不幸にすることもしばしばだ。
社会風潮は国民の間で
自然と湧き上がってきたものではなく、
仕掛けられた場合のほうが多い。
国家を統制する立場にいる
財と力と影響力を持つ権力者たちが、
なるべく国民に気づかれないように
メディアという便利のツールを利用して、
心理コントロールを上手くして
国民を洗脳している。
自分たちの都合が良いように
国民が動いてくれるよう仕掛けたものだ。
世界の国々の中には、
厳しい法律により、国民を統制する国もある。
生活面の隅から隅まで、細かいルールを決めて、
それに従えない人たちを法で罰して
国民をコントロールしている。
日本は決してそのようなことはない。
日本のやり方は「同調圧力」をかけて、
国民をコントロールすることだ。
国を支配する立場の人たちが
自分たちの都合のよいように
社会風潮を作り上げて、
国民は必死にその社会風潮に
自分を合わせようとする。
なぜなら、社会風潮から外れたことをすれば、
「非常識」と非難され、
村八分になってしまうからだ。
周りの皆と同じようにやっていれば、
受け入れられるので、そうせざるを得ない。
社会が決めた幸せの定義に従うことで、
自分が心底幸せになれるのならば、
それはそれで問題ない。
しかし、そうでなければ、
社会風潮に従うことをせず、
自分軸で生きたほうが幸せになれる。
本当の意味での自分にとっての幸せを
手に入れることができるからだ。
社会風潮に騙されることなく、
自分の心底望むことに従って、
自己実現できるようになれば、
もっと沢山の人たちが
「ああ幸せだ」と感じることができる。
同調圧力に逆らうことは
確かに勇気が要ることだ。
しかし、もしもその同調圧力が
自分を不幸にしてしまうのなら、
同調圧力には負けずに
自分のやり方を追求したほうが賢明だ。
ということで、今回は
私が考える「幸せなはずなのに、
幸せを感じられない」理由をお話してみた。