幸せはどこにあるのだろうか? 正しい場所で探せば、きっと見つかる!

今回は、
幸せを追い求めるなら、
正しい場所で探そう!
という話。

間違った場所で探し回っても、
いつまで経っても
見つからないからだ。

もう既に幸せの中にいるのに、
それに気づかず、
「自分の幸せは外の世界に
あるのだろう」と信じて、
外の世界で幸せを
探し求めている人もいる。

でも、一生懸命必死になっても、
やはり見つからない……。

そして、
「私の幸せはどこにもない!
私は幸せになれないんだ!」
と言って嘆いている。

もし、そういう人がいれば、
次に紹介する、小林正観さんの
「海が見たい魚」の話がお勧めだ。

====

海に生まれて、海で育った
魚ちゃん。

今まで一度も外に出たことがなく、
なんとかして海を見たい!
と思っていた。

そんなある日、
魚ちゃんは目の前に
不思議な物体を見つけた。

「これに関われば、
海が見れるかもしれない」と思い、
その物体にガブリと食いついた。

すると、自分の身体が
どんどん上昇していった。

上がって、上がって、
ついには水から出て、
上から海を見ることが
できたのだ!

水平線や青い空、
空に浮かぶ白い雲
が視界に入ってきた。

ジェット機が音を立てて
空を飛んでいる。

ずっと「海を見たい!」と
願っていた魚ちゃんは、
初めて海を見ることができた!

しかし、水の外に出た瞬間、
魚ちゃんは大変なことに気づく。

「苦しい! 苦しい! 
本当に苦しい! 誰か助けて!」

魚ちゃんは、苦しくなって
初めて海を見ることができたのだ。

====

正観さんのこの話は、
類似を使って
「幸せはどこにあるのか?」
教えてくれるものだ。

類似点は次の通り。

海が見たい魚ちゃんは、
幸せを追い求める人たち。

魚ちゃんを釣り上げたのは神様。

そして、釣り上げられた状態は
病気、事故、トラブルなどの災難だ。

幸せは自分の内にしか
見つからないことに
気づくことなく、
外をずっと探し続ける人が、

なんらかのきっかけにより
「幸せではない状態」
を経験することがある。

そんな時に初めて
幸せがどんなものか
分かるのだ。

光しかない世界の中に
自分がいれば、
光がどんなものか?
なかなか認識しにくい。

でも、なんらかの理由により、
闇を見ることができれば、
初めて光がどんなものだか
理解するようになる。

幸せについても
同じことが言える。

幸せでない状態を
経験しなければ、
幸せがどんなものだか
なかなか理解できないもの。

しかし、
深刻な病気になった後に、
身体に何の不自由もなく
普通に生活できていたこと自体、
幸せだったと痛感する。

事故に遭い、
大変な状況になって初めて、
「それまで何事もなく
過ごせたことは幸せだった」
と思い知らさせる。

幸せからはほど遠い経験をして、
「今まで全く気づかなかったが、
実は、私は幸せだった」と分かるのだ。

====

神様は意地悪で
魚ちゃんを釣り上げたのではない。

自ら「海が見たい! 海が見たい!」
と切望していたので、
その願いを優しさを持って、
叶えてあげたのだ。

私たち人間の多くは、
「幸せが見たい! 幸せになりたい!」と願い、
外の世界に幸せがあると信じ込み、
幸せを探し求めている。

そして、
そういう私たちの希望を
神様は優しさを持って、
叶えてくれることもある。

「じゃあ、見せてあげましょう」と。

病気、事故、トラブルなどの災難が
起きるのは、
神様が酷いことを
しているのではない。

神様は私たちに「幸せの姿」
を見せてあげたいと思うから、
そういう現実を
起こしてくれるのだ。

苦しくなった魚ちゃんは
もう二度と「海が見たい」とは
言わないだろう。

海の中が幸せだった
と理解できたからだ。

====

長年幸せを追い求めたのに、
どうしても見つからなかったのは、
探す場所を
間違えていたからだ。

あなたの幸せは
外の世界にあるものではなく、
あなたの心の内に存在し得る。

この世の中には
「絶対的な幸せ」は
どんなに探しても
見つからないもの。

世界中の人々が
「これが幸せだ!」と
口を揃えて言うような
絶対的な幸せはどこにもない。

それよりも、あなたが
「幸せだな」と思った瞬間、
あなたの心の中にできる現象が
幸せだ。

この幸せは、
あなただけに通用するものであり、
他の人のものではない。

よって、幸せは
外の世界にあるのではなく、
あなたの中にあると言える。

絶対的な幸せを
手に入れられる人はいなくても、
世界中の一人一人が
自分の中に幸せを見つけることは
可能だ。

幸せ探しをするのなら、
外の世界でするのではなく、
自分の内でしよう!

きっと自分の心の中で
幸せを見つけられるだろう。