今回の話は、
情報に触れる際、
どんな文脈で誰に向けられたものか?
を確認しよう! という内容。
その理由は、情報は
特定の背景、状況下で
語られていたり、
特定の対象に向けられたり
するものが多いから。
よって、
自分にとって、その情報は
必ずしも有益ではないからだ。
特にアドバイス的情報は
その傾向が強い。
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たとえば、
気弱で異性にアプローチできない人に
どうすれば彼氏、彼女を作れるか?
についてアドバイスする際、
「恋人を4人くらい作る気持ちで
頑張ろう!」と言うだろう。
でも、これをプレーボーイが聞き、
「僕、既に彼女がいます。
あと3人彼女を作ればいいんですね」
と思うのは、よくないこと。
そんなことをしたら、
大変な目に遭うからだ。
「恋人を4人くらい作る気持ちで」
と言うのは、奥手の人が恋愛に対して
消極的で受け身な姿勢でいれば、
いつまで経っても、恋人はできないからだ。
そんな人は
4人くらい作る勢いで行動しないと、
難しい、と言っているだけ。
奥手の人にとっては
適切なアドバイスでも、
プレーボーイには
当てはまらないことだ。
これと同様に、共感力が非常に高く、
人の感情に敏感なエンパス体質の人に
「どんな工夫をすれば
生きやすくなるか?」を教える情報を
サイコパスが読んでも、意味がない。
もともと痩せ体質の人が
ダイエットしてスリムになるための
アドバイス的情報を入手しても、
全く役には立たない。
向けられた対象ではない人が
その情報を見て、
活用しようとしても
有益ではないからだ。
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同じことを成し遂げるにも、
効率よくこなす方法は、
人それぞれ違う。
その理由は、
性格や気質、知識や能力面で
皆が異なる存在だからだ。
たとえば、
締切日のある仕事をするとき、
期限ぎりぎりになってから、
時間に追われてやった方が
集中しやすい人もいれば、
時間的な余裕を持ち、
焦ることなくやらないと
できない人もいる。
成し遂げたいことを
周囲の人たちに宣言した方が
成し遂げやすくなる人も
いる一方で、
逆にそんなことをしたら
プレッシャーが大きくなり、
上手くできなくなる人もいる。
同じことをするにも、
どの方法がよいのかは、
人それぞれ違うものだ。
よって、ある一つの
アドバイス的情報を
全員に与えるのは適切ではない。
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同じ悩みを相談しても、
回答する人によって、
全く違うアドバイスをする。
時には同じ相談に対して、
真逆のアドバイスを複数人からされ、
「一体どれが本当なのか?」
迷ってしまうこともある。
しかし、これは
不思議なことではない。
なぜなら、
アドバイスする側は
自分の経験に基づいて、
自分の立場や視点で
物を語るからだ。
アドバイスする側には
その情報は正しくても、
聞く側にとっては
全然役立たない場合もある。
自分にとって役立たないから、
「この情報は間違っている」
と言う人もいるが、
この姿勢は望ましくない。
自分には役立たなくても、
その情報を有益に感じる人も
いるからだ。
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何が起きたか? 事実だけを
伝える情報は、
誰にとっても同じように
正しいものであっても、
情報の多くは、
特定の背景、状況下で、
特定の対象にのみに有効で、
それ以外の人たちには
意味のないものもある。
すべての人々に
有効でない理由は、
人間は多種多様だからだ。
生まれ育った環境や、
育ててくれた親、受けた教育、
今までに至る経験や、
自分が今置かれている環境や状況も
すべてが違う。
よって全ての人を
一色単に扱うのは、
無理があるのだ。
この世の中には
自分と全く同じ人間は
どこを探しても存在しない。
そのため、100%
自分にぴったりのアドバイス的情報を
一人から貰うことも難しい。
それなら、一人が言うことを
すべて受け取るのではなく、
自分に適切な部分だけ
使わせて貰うのもありだろう。
複数の人たちから、自分にとって
役立つ部分だけを頂戴して、
それらをモザイクのようにつなぎ合わせ、
自分にぴったりのやり方を
築き上げることも可能だ。
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ネット上でも、その他のメディアでも、
私たちは日々
様々な情報に触れている。
情報に触れる際、常に「この情報は
どんな背景や環境下で発信され、
どんな人たちを対象にしているのか?」
を考えるのが望ましい。
自分にとって適切な情報なら
積極的に受け入れるとよいし、
そうでないものは
切り捨ててOKだ。
いつもこのことを自問自答して、
自分で判断する姿勢が大切。
自分にとっては
「正しくない」と思われることも、
他の人にとっては
有益なこともあると
心得ておくことも必要だ。
自分のために有益で
適切な情報だけを選び抜き、
それらを有効活用することは、
とても意義あることだ。