私の両親は毒親。
そして、私は立派なアダルトチルドレンだ。
私が両親から受けた最大のダメージは
「不当な思い込み」と
「ネガティブな自己イメージ」を
植え付けられてしまったこと。
自分はできない人で、
ダメな奴で、救いようもない、
価値のない人間だと
思い込まされてしまったことだ。
子供にとって一番重要な人は
自分を育ててくれる親だと思う。
そんな親から「本当に困ったちゃんね」、
「ろくでなし」、「人間のクズ」
「ダメなヤツ」、「人間失格」、
「~ちゃんは立派なのに、
あんたは本当にできないわね」
というような否定的な言葉を
常に浴びせられていれば、
「自分は本当にできない人なんだ。
価値のない人間なんだ」
と思い込んでも仕方ない。
「女、子供は黙れ!」と
怒鳴られて、暴力を振るわれれば、
「自分は意見を言うことすら
許されないような
劣った人間なんだ」と勘違いするようになる。
小学生の頃から、成人するまで、
自己形成がされる大切な時期に、
親から否定的な言葉で育てられ、
自分の意見を言うことも許されなければ、
自分に自信を持つことができず、
自己肯定感が低くなるのも当然だ。
自分の心の中では「こうなんではないか?」
と思うことがあっても、他人が「それは違う」
と言えば、「自分の思うことは間違っていて、
他人の方が正しいんだ」と他人を優先させてしまう。
その背景には、自分は劣った存在なので、
優っている他人の方が正しいに違いない、
と思ってしまうからだ。
私の人生の中で、こういうふうに考えた時期は
非常に長かった。
人の集まりに参加すれば、
自分はその集団の中では劣った存在で、
「そこにいてはいけないんだ」と感じてしまい、
居心地が悪くて、早く集会が終わらないか
と願うばかりだった。
何も喋らず、大人しくしてれば、
この集会にいる人々には
迷惑がかからないだろうと思い、
部屋の隅のほうで静かにしていた。
静かにしていると言っても、
居心地が悪くて、緊張しているから、
身体は凝り固まっていて、
ムダに心的エネルギーをすり減らしている。
集会が終了して、帰宅した後には、
疲れがどっと出て、何もできない状態だ。
たった2時間の集まりに参加するだけで、
疲労困憊してヘトヘトになっていた。
でも、人生のどこかの時点で
気づく時が来る。
「実は、自分はそんなに劣った存在でもなく、
普通の人間なんではないか?」と。
もちろん、親が言うように、
自分には他人よりも劣った点はある。
でも、人よりもより良くできる点だってある。
劣った点と良くできる点とを合わせれば、
全体的には普通の人間なのではないか?
と分かったのだ。
しかし、子供の頃に
親からネガティブな自己イメージを
植え付けられてしまえば、
大人になって「それは間違いだった」
と分かっても、急に自己イメージを
上げることは難しい。
「もっと自分に自信を持っていいんだよ」
と自分で自分を励ます時もあるが、
自分を取り巻く状況が悪くなれば、
「やっぱり、自分はダメなんだ」
と簡単に昔の自分が戻ってきてしまい、
落ち込むことになる。
私のことを非難ばかりする親と物理的に離れて、
親とはほとんど連絡を取らなくなった今でも、
昔親から馬鹿扱いされた時のこと、
どうしようもない人間だと
呆れられた時のことを思い出して、
親が昔、私に言っていたことを、
今後は自分自身が自分に言ってしまっている。
自分を否定して、自分を虐めるような言葉を
自分自身に投げかけているのだ。
時には、「いや、そんなことはない。
もっと自分を肯定してあげていいんだ」
と思うことはあっても、
物事が上手く行かなくなれば、
必ず、自己否定の方向へ戻ってしまう。
昔、親からやられたようなことを
自分が自分にやって、
「なんて、自分はダメなやつなんだ。
価値のない人間なんだ」と自分を責める。
「人は自己イメージ通りの
人生を歩むことになる」と聞いたことがある。
そして、これは本当だと感じている。
もし、自分のことをできる人だと思い、
色々なことに挑戦していれば、
本当にできる人になる。
逆に、「自分はダメだから」と思い込めば、
「どうせ、自分にはムリだから」
と自分が自分にブロックをかけて、
何もやらなくなってしまう。
そうすれば、本当に何もできない人になる。
運が良い人、悪い人、
自分の可能性を見つけて花咲かせる人と、
そうではない人とがいる。
この人たちの違いはいったい何なのか?
私が考えるには、
「自己イメージが違う」ということだ。
どんな人にも、
チャンスは同じように降ってきているのに、
否定的な自己イメージがある人は、
チャンスを見ることもできなければ、
掴むこともできない。
なぜなら、「どうせ、自分にはムリ」
という低い自己イメージがあるからだ。
自分はできる人。自分は幸せになってよい。
と心底思える人は、
降りてきたチャンスをしっかり掴み、
即実行に移せる。
「やればできる」と信じ込んでいるので、
行動することが怖くない。
行動すれば、それなりの結果が出る。
もちろん、最初は上手く行かなくても、
試行錯誤をするうちに、
自分の可能性を見つけて、
花咲かせることもできるのだ。
自己イメージの低さが、
自分自身のブロックとなり、
なかなか挑戦できなくなる。
その結果、チャレンジができなくなり、
自分の可能性も狭めてゆく。
「自分はダメだ。できない。
どうせやってもムリだ」という
ブロックを外す必要があるのだろう。
そのことは、自分でも良く分かっている。
そして、元気な時には、
その方向へ進めるよう頑張っている。
でも、少しでも逆境がやってくれば、
やはり、昔の「ダメな自己イメージ」
が戻ってきてしまい消極的になる。
親から受けた心の大きな傷を癒し、
子供時代に受けた不当な信念や
ネガティブな自己イメージを
手離す作業は、なかなか大変だな
と感じているのが私の本音だ。
自己形成がしっかり確立された後、
他人から否定的なことを言われても、
そんなに大きな被害はないだろう。
でも、子供時代、思春期に投げかけられた
親からの意地の悪い言葉は、
長い間、その人の中に残る。
そして、それが大きなハンディーとなる、
と私は感じている。