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実母と話すとイライラする

日本の母とスカイプするとき、私はいつもネガティブ感情に襲われる。眉間にしわを寄せて不快そうにしている母の顔全体から嫌な波動がムンムン出ていて、私まで不愉快な気持ちにさせられる。あまりにも居心地が悪いので、早く通話を終了させて、嫌な波動から逃げたいと思うほどだ。

母とは滅多にスカイプしないが、母のしかめっ面をスクリーン上で見るたびに、私の頭の中には、昔の母との嫌な思い出が蘇ってくる。今も昔も母の顔の表情は変わらない。私が子供の頃も、こういう顔で私に対してネガティブ言葉を連発してきた。弟家族が両親と同居を始めてからは、母のネガティブ言葉の矛先は嫁に向くようになった。同時に、最近は母の体調が悪いらしく、身体に対する不平不満も増えてきた。

「足の痺れが辛い。腰が痛い。お通じが悪い」とツライ、苦しいを連発して、母は身体の不調を訴える。年を取れば身体も衰えてくるので、それも仕方ないのだろう。しかし、母はパーフェクトな健康状態を頭の中に描いており、理想と違う自分の身体の部位を減点法で差し引いて、完璧ではないと嘆いている。

母はかなりの完璧主義者だ。そのため、すべてが完璧で良くなければ、納得いかないし、不満であるのだ。少しでもどこかが不調なら、その部分だけにフォーカスを当て、他の良い部分のことはすっかり忘れてしまっている。

確かに腰は痛いかもしれない。足の痺れがあるかもしれない。でも、目はきちんと見えるし、耳もちゃんと聞こえる。手は自由に動くし、胃や心臓も正常に機能している。それなのに、健康な身体の部分は、母には全く見えていないようだ。

斎藤一人先生の言葉を思い出した。「少しくらい体調が悪くても『絶好調』って言ってみな!そうすれば、身体もだんだん良くなってくるから」と。

「痛い」「苦しい」「ツライ」を連発すれば、悪い部分だけに意識が向くようになってしまう。逆に、一人先生が勧めるように「絶好調」と言い続ければ、良い部分にフォーカスできるようになるだろう。同じ身体の状態でも、自分の意識がどこに向くかで、感じ方は全く違ってくる。

母の不平を聞きながら、私は心の中で叫んでいた。「悪いところばかりにフォーカスを当てるんじゃないよ! 良いところだってあるのだから、それに感謝しろ!」と。

しかし、そのようなことを偉そうに言う自分も、ある日、気づくことになる。「なぜ、実母とスカイプするとイライラするのか?」 その理由が分かったのだ。そして、私自身、ショックを受けた。

母のことを完璧主義だと非難して、「悪いところだけにフォーカスを当てず、良い面も見ろ!」と私は心の中で叫んでいた。でも、そういう私も、実は母と全く同じ面を持ち合わせていたのだ。

実は私も近くにいる夫に、自分の身体の不調を訴えることが多い。「腰が痛い」とか、「肩こりが酷い」と言って不快な顔を見せる。一度言うならいいが、何度も繰り返し言っている場合もある。

私はそういう自分自身が嫌いだった。でも、嫌だと思いながらも、やはり、身体の不調にフォーカスがゆき、近くにいる夫に不平不満を言ってしまっていた。

私は母の中に、自分自身の嫌いな面を見つけて、それに対してイライラとした感情を抱き、母を忌み嫌っていた。母のことを否定すると同時に、私は自分自身のことも否定していた。

一人先生のトークを聞くようになってから、人間は不完璧な存在だということを学んだ。完璧主義は良くないと学んだ。悪いところがあっても、良い部分もある。悪いことろだけにフォーカスを当てるのではなく、良いところへも意識を向けるようにと学んだ。

頭の中ではそのように理解したつもりだったが、実際の自分の行動はと言えば、大きな疑問がある。それなのに、良い部分に意識を向けられない母に対して、私は一人先生から学んだことを偉そうにレクチャーしていた。自分自身が行動できていないのに、上から目線で母を指導するような姿勢であった。

私は悟った。「なんだ、自分も母と同じではないか!」と。自分の嫌な面を母の中に見つけるから、私は母に対して不快な感情を抱き、母を否定していたのだ。それと同時に、自分自身のことも否定していた。

これが分かったとき、私は母がしかめっ面でスカイプスクリーンに登場しても、それほど否定的な気持ちにならなくなった。「母も私も、結局は不完璧な人間なんだ。だから、そんなに母や自分のことを責めなくてもいいんだ」と考えられるようになった。そう思ったら、少しは気持ちもラクになった。

母に対しても、自分に対しても、「まあ、いいか」って許してあげることが、幸せな道に進む第一歩ではないかと感じている今日この頃だ。