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心の境界

親子関係で悩む人や、毒親問題で苦しむ人は
親と子の「心の境界」が曖昧になっており、
そのために、生き辛くなるケースが多い。
「心の境界」とは、自分を他人から
独立した存在として区切るラインのこと。
目に見えないし、物理的な壁で
仕切られていないので、境界が侵されても
はっきりとは分からない。
でも、心のどこかに「ちょっと、おかしいのでは?」
とシックリこない感じがある。

健全な家庭では、親は子供に
「心の境界」を教えることができる。
親が心の境界を正しく理解しているので、
どこまでが親の領域か分かる。
この領域内では、親が自分で判断して
決断できるが、それを超えたら
自分が口出ししてはいけない
子供の領域があることを知っている。
領域を侵された場合、
きちんと主張できるよう
子供を教育することもできる。

しかし、機能不全家庭では
教育者である親が「心の境界」を
正しく理解していない。
そのため、子供は親から教わることはなく
境界が全く分からないのだ。

心の境界が分からないまま大人になれば、
社会に出て、人間関係でトラブルを起こす。
限界の見極めができないので、
極端な行動を取ったりして、
人生スムーズに行かなくなる。
結果、生き辛さを抱えながら
不幸な気持ちで人生を送ることになる。

私も親から健全な心の境界を
教えられなかった人間のひとりだ。
私は母の手伝いが大嫌いだった。
私は不器用で、母の期待に応えるほど
上手く家事ができなかった。
「家事なんて嫌いだ」と母に言ったら、
母からこう返ってきた。
「女の子は家事をこなすことに
喜びを感じなければいけないのよ。
そうできなければ、あんたは人間失格」と。

好き、嫌いの気持ちは自然と
自分の中から湧いてくるもの。
私が感じることを、「感じてはいけない」と言い、
母は、私のことを人間のクズのように扱った。
私は自分の人格を否定されたような気がして、
悲しく、虚しい気持ちでいっぱいだった。

私の日本の実家は「男尊女卑」と「年功序列」
を重んじる家だったので、
女であり、子供であった私は、
自分の考えや意見を自由に表現できなかった。
私が親と異なる意見を述べれば、
父は激怒して、怒鳴り散らし、私に暴力を振るった。
私は常に父親の顔色を伺いながら、
ビクビクと生活していた。

いつも、母は私にこう言っていた。
「他人の心を察して、人から言われなくても
自分の方から積極的に気を利かせなさい。
自分が犠牲を払ってでも、他人の期待に応えるために
尽くすことが出来なければ、立派ではない」と。
つまり、母から言われなくても、私が母の気持ちを汲んで
母に対して協力しろ、ということだ。
母は私にそれを求めていたけれど、
子供の私に対して、同じことをしてくれただろうか?

両親が気に入った親戚の人たちを、
私が好きになれば、彼らは満足した。
しかし、親が嫌いな親戚たちについて、
私がポジティブなコメントをすれば、
父は不機嫌になり、嫌な顔を見せた。

母自身、音楽が好きで、音楽の道に進みたかったようだ。
しかし、諸事情により、それができなかったので、
「娘のあんたに私の夢を叶えて欲しかったのよ」と私に言ったこともある。
ピアノを弾いて、単に楽しみたかった私に、
専門の家庭教師までつけて
音楽理論の勉強をさせたことは
正直、私にとっては負担だった。
私は親の夢を叶える道具ではない。

母親の立場では、自分のお腹の中で
私を育ててくれて、出産時には
大変な思いをして、私を生んでくれた。
自分の身体から出てきた赤ちゃんなので
私は、母の所有物であると勘違いをしているようだ。

親子であっても、血縁であっても、
親も子供も独立した人間なのに、
そう思えない親は、子供の心の境界線を越えて
子供の領域に平気で侵入する。
自分が境界を侵していることを、
気づいていない場合も多い。

健全な心の境界を侵されて育った私も
今では親の立場となった。
親から正しい境界を教えられていないので、
私は、自分の子供に対して、
超えてはいけない境界を越え、
子供の領域に入ってしまった。
「ギャップイヤーを取るなんて、絶対に許しません!」
と娘に命令調で言ってしまったのだ。
その後、私は自分が境界を侵したことを自覚した。
そういう意味では、私は、私の両親よりはマシかもしれない。
でも、気をつけていなければ、子供の境界を
尊重できない自分がいるのも確かだ。

私は反省した。
「私と両親との険悪な人間関係を、
今度は親の立場で、自分の子供を相手に
繰り返してしまうのは、非常に愚かだ」と。
だから、心の境界を肝に銘じて、
それを尊重しないといけない
と常に自分に言い聞かせている。