実両親と日本で暮らしていた時、
私と両親との意見の相違が原因で、
喧嘩になったことがしばしばあった。
父は仕事で不在が多かったが、
母と一緒に過ごす時間が多かった私は、
母との価値観の違いで
大変苦しんだ。
母は私に対して過干渉で、
私が十代後半になっても、
毎日、私が着る服に関して、
口出ししてきた。
私が着たい服と、
母が私に着て貰いたい服とが違って、
それが原因で揉め事にもなった。
私にとっては、着心地が良いものが好きだ。
肌触りがよくて、自分の身体にフィットして、
身体を締め付ける感覚もなく、
着ていてもラクな服を着たいと思った。
でも、私のお気に入りは、
母にとっては、洒落っ気がなくて、
地味な物だったから、
母は私にその服を着て欲しくなかった。
あいにく、母が気に入る服は
お洒落で見栄えはとても良いが、
私にとっては、
首の当りが締め付けられて
着ると苦しい感じがする。
また、肌触りもイマイチで、
チクチクするので、
服の素材が肌に触れた部分が
痒くなって不愉快だった。
それでも、母には見栄えの方が大切だった。
嫌がる私に、ムリヤリその服を着せようとした。
母自身がその服を着るのなら問題ない。
問題なのは、それを私に押し付けることだ。
母にとっては「見栄え」が一番大切。
でも、私にとっては「着心地」が重要だった。
その違いから、喧嘩にまで発展した。
服に限らず、生活のすべての面で
母には体裁が一番大切のように見えた。
自分がどう感じるかよりも、
他人が自分のことをどう思うか?
の方が気になっていて、
自分が心地よいと感じなくても、
外に良く見せかける方に
時間とエネルギーを費やしていた。
私のやることなすこと、
ほとんどすべてが、
母にとっては「なっていない」ようで、
ずっと私のことを近くで監視して、
非難の言葉を投げかけてくる。
私がちょっとでも反論すれば、
「あんたはそんなこと言って、
他人にどう思われるのか知っているの?
他人に受け入れられるはずがないよ!」
と返してくる。
他人に迷惑がかかることや、
誰が見ても反道徳的なことならば、
非難されても仕方ないだろう。
でも、母の批判はそういう類ではなかった。
例えば、今の流行がグリーンのスカートだったら、
私がグリーンのではなく、赤いスカートを着たら、
「そんなみっともない格好をして、
他人様にどう思われるか分かるの?」
といった感じだ。
「そんなことして、
他人にどう思われるか分かるの?」
という言葉を、私は何度聞かされたことか。
他人は母が考えるほど、
他の人のことには関心がないだろう。
ほとんどの人は、自分のことに精一杯で、
他の人のことなんて、あまり見ていない。
自分のことには興味があっても、
自分以外の人には関心がない
というのが私が考えるところだ。
だから、そんな他人に
自分のことをどう思われるかなんて、
心配すること自体、馬鹿らしいと思う。
もちろん、他人に迷惑をかけたり、
他人が嫌がることをしてはいけない。
でも、それ以外のことで、
自分を他人に立派に見せたり、
良い人だと思われる必要はあるのだろうか?
他人から良く思われることで、
何か得になることがあるのだろうか?
母が気に入る
お洒落だけど着心地の悪い服を着て、
一瞬、他人が私の服を見た時に、
「あら、ステキなお洋服ね」
と言うことはあっても、
それ以上は、なんとも思わないはずだ。
たった一言、他人から褒められるために、
首のあたりがキツクて苦しい服、
皮膚にチクチクして不快な服を
一日中着る必要なんて、どこにあるのだろうか?
私にとっては、
自分が心地よい。良い気持ちになれる方が
よっぽどマシだと感じている。
母は、実際の自分がそうでなくても、
外の人には「自分は立派である」と見せたがる。
子供の頃、母と一緒に社交の場に行った時、
母がよその人に対して、
素晴らしい人間のように振舞い、
美しい言葉を発しているが、
一旦自宅に戻れば、見えないところで、
相手をバカにしたような発言をしたり、
文句を言ったりする姿を沢山見た。
本音と建前があるのかもしれないが、
あまりにも、本音と建前のギャップが大きすぎて、
子供ながら、不思議に思ったものだ。
親戚の前では、立派な嫁を演じている母は、
親戚の集まりでは、献身的な妻を装っている。
でも、自宅に帰ってくれば、
その反動が出て、全く逆の振る舞いとなる。
親戚の誰かが言ったこと、やったことに対して、
いつまでもネチネチ文句を言っている。
親戚の会合では、お淑やかな母は、
家に戻って来た途端、
鬼婆のような顔つきになり、
会合で起きたことに対して、
文句をタラタラ言っている。
その文句タラタラがいつまでも続き、
家庭内の雰囲気が険悪になっても、
母は全く気にしている様子はなく、
自分の気が晴れるまで、
言いたい放題言っているのだ。
外の人には気を遣いすぎて
にこやかにエレガントな振舞いでも、
自宅で嫌な波動を出しまくって、
狭い家中にそのネガティブオーラをまき散らして、
家族を嫌な気分にさせる。
それでも、母はヘッチャラだ。
外の人に自分が良く思われれば、
それが一番の重要課題で、
家族内の人がどう感じようと、
それはどうでもよいことらしい。
外には素晴らしい体裁を装うけれど、
内では不満の塊みたいな母を見ていれば、
私はイライラを感じる。
母にとっては、どちらが大切なのだろうか?
年に数回会う外の人の方が大事なのか?
それとも、毎日、一緒に生活している
家族や自分自身の方が大切なのか?
自分にとって大切なことは
人それぞれ違うだろう。
私は体裁重視を嫌に感じるが、
母にとっては体裁は最重要課題。
それはそれでよいだろう。
でも、母には止めて欲しいことがある。
自分が大切だと感じたことを
子供の私に押し付けることは
是非、止めて欲しい。
私が「それはちょっと嫌いだ」
と言った時に、陰険な顔を見せて、
私を軽蔑するような態度を取って欲しくない。
体裁第一主義を自分だけで持つのはよいが、
子供の私には押し付けるのは
勘弁して欲しい。