私は母から褒められたことがない。
でも、母が私の周辺にいる人たちのことを
褒めているのを、たくさん見てきた。
近所に住む、私と同年代の人たちについて、
母はこんなふうに褒めていた。
「A子ちゃんは、頼まれなくても、
積極的にお手伝いをして、立派だわ」とか、
「B子ちゃんは、パンも焼けるみたいよ。
凄いわね」とかいう感じで、
他人は素晴らしいけれど、それに比べて、
私はできなくて、劣っているということを
ほのめかされて、嫌な気分になった。
私の弟に対しても、
母はすごく褒め称えていた。
「まだ、3歳なのに、こんなことができるのよ。
あんなこともできるのよ。
この年齢では、できなくてもいいのに、
この子はできるのよ。嬉しいわ。
将来が楽しみだわ」というセリフを、
母の口から何度聞かされたことか。
私の同級生や弟のことは
べた褒めするくせに、
私については一切褒め言葉がなかった母。
「私はやっぱりダメな人間なのか?」と思い、
落ち込んで虚しい気持ちになった。
親から褒められなかった寂しさは、
今でも私の中に残っている。
こういう背景があるから、
自分が親になったとき、
私は子供のことを
たくさん褒めてあげよう思った。
子供が良い行いをしたときには、
小さなことでも、「偉いわね」と言って、
子供を褒めてあげる。
でも、悪い行いのときには、
子供を褒めることはなかった。
しかし、ある時、私は気づいた。
子供を褒めることは良いことだ
と確信していた時期もあったが、
実は、そうではないのでは?
と疑うようになった。
子供が良い行いをしたとき、
私は子供を褒めてきたが、
「良い行い」とは、いったい何なのか?
色々考えたところ、
良い、悪いというのは、
私自身の主観であり、
私の考える良いことが、必ずしも
正しいとは限らない。
一般的に良いとされることや、
自分が良いと思い込むことが、
本当に良いとは限らないと同時に、
自分が悪いと思うことは、
必ずしも、悪いとも限らない。
結局、私のしていることは、
自分の思い通り、期待通りに
子供が動いてくれれば、
子供のことを褒めている。
そうでなければ、褒めることはない
ということだと分かった。
これは、子供を自分の思い通りに
コントロールしようとしていることだ
と気づいたのだ。
褒められることで、
子供の承認欲求は満たされる。
承認欲求は、人間が誰でも持つ
強い欲求の一つだ。
子供が褒められることを嬉しく思い、
これをすれば、親は褒めてくれる、
あれをすれば、親は褒めてくれない、
と分かれば、褒めてくれることだけをして、
褒められない行動はしなくなるだろう。
子供は親に褒められたいために、
親の言うことに従い、
親の思うように動くようになる。
褒められるためだけの行動なら、
子供は親の欲求の奴隷になってしまう。
自分が心底したいから、そうするのではなく、
親が褒めてくれるから、するようになる。
こうなれば、子供は
「自分が本当は何をしたいのか?」
を忘れてしまい、
他人にコントロールされる人間になる。
そう考えれば、実に怖いことではないかと感じた。
それなら、どうすれば
子供をコントロールすることなく、
自立させて、子供が自分で決めることを
奨励できるのだろうか?
それは、「子供のありのままを肯定すること」
と私は考える。
親は子供に対して、
こうして欲しい。こういう人になって貰いたい。
こういう職業に就いて貰いたい。
こういう人と結婚して欲しい等々、
色々「子供にはこうして欲しいけれど、
こうして欲しくない」ということがあるだろう。
でも、子供は親の所有物ではないし、
親の操り人形でもない。
親の願い通りに、子供が動かなくても、
子供のそのままの状態を肯定することは大切だ。
たとえ子供が自分が期待することと
真逆のことをやっていたとしても、
子供を否定することなく、文句を言うことなく、
嫌な顔を見せることもなく、
「私はあなたがどんな状態でも、
あなたのことが大好きよ」と
子供のありのままを肯定して、愛してあげれれば、
どんなに素晴らしいだろうか。
何かができるから好きになるのではなく、
子供ができなくても、どんな状態でも、
子供のことが大好きだという
無条件の愛を子供に感じさせてあげれれば、
それが一番の理想だと思う。
そうできれば、子供は親から愛されている
と感じて、子供も凄く安心するだろう。
でも、これは理想的ではあるが、
あまりにも美しすぎる考え方では?と思った。
人間は皆、不完璧な存在で、
自分勝手なところがたくさんある生き物だ。
実際に、これができる人なんて、
この世の中にいるのだろうか?
いたとしても、ほんのわずかだろう。
子供を自分の思い通りに動かしたくて、
褒めることは、
子供をコントロールすることになる、
と考えるようになってから、
単に褒めればよいわけではないと分かった。
子供がどんな状態でも、
子供のことが大好きだという
無条件の愛が理想的だと思う一方、
これは、私が頭の中で考える、
理想論にすぎないものだとも感じている。