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親からの影響は大きい

ニュージーランドに住み始めて
もうすぐ30年になる。
この間、私は日本に合計3回、
トータルで6週間しか滞在していない。
親兄弟が日本に居ながら、
日本とかなり疎遠になっているのは
私と両親との険悪な人間関係を
物語るものであろう。
両親には滅多に連絡を取らないが、
それでも、両親からの影響は
非常に大きい、と私は感じている。

子供の頃に母からされて嫌だったことは
「良い人間」になるよう強いられたこと。
「お隣のA子ちゃんは、
お母さんが仕事で忙しいから、
毎晩、積極的に家事を手伝うのよ。
何も言われなくても、親の気持ちを察して
自分の方から色々協力しているみたい。
A子ちゃんは、なんて偉いんでしょう。
あんたもA子ちゃんを見習って
立派な優しい子になって欲しいわ」
と不満そうに言う母の姿を
何度見たか分からない。

母は私に、「優しくて、他人の心を察して
自ら他人を助ける行動がとれる人になれ。
立派な良い人になれ」と常に言っていた。
良い人にならなければ、失格者であり、
他人に認められることはないと強調していた。
私はそういう母親に対して、
心の中で大きな反発心を抱いていた。

母が言う「立派で良い人」とは、
心が優しくて、気が利いて、道徳心があって
他人が求める期待にきちんと応えることができ、
行動力もあり、完璧にいろいろなことができる
超理想的な人間を指すのだろう。
母にとってA子ちゃんはそのような人間
に見えたに違いない。

実際のところ、私はA子ちゃんのことをよく知らない。
もし、A子ちゃんの振る舞いが、
彼女の自然なものならば、素晴らしいと思える。
しかし、もし、A子ちゃんが良い存在になるために
自分を押し殺して、ムリをしているのなら、
そして、自分ではない別キャラを演じているのなら
そんなことをしてまで、良い人間になる必要があるのだろうか?
と思ってしまう。

私自身は、自分の気持ちに正直に生きたい
と考える人間だ。
他人が期待するような人間になるために
自分を犠牲にしたり、自分でないキャラを
ムリに演じたりすることは、絶対に嫌だ。
私には腹黒い部分もあるし、
心の中には闇の部分も存在する。
でも、それでいいと思っている。
そういう自分のネガティブ面を否定して、
立派で良い人間を演じるなんて、まっぴらだ。

私の母はかなりの理想主義者だが、
実際、母が理想とするような人間なんて
この世で何人いるのだろうか?
所詮、人間は不完璧な存在だから、
表面上はどんなに素晴らしく見えても
どこか見えないところで欠点があったり、
心の闇や腹黒い部分があったりする。
そういうネガティブ面を隠して、
ムリに自分を立派に見せる人は、
私にとっては、逆に信用できない存在だ。

ムリしてでも良い人間を演じろという母と、
自分の気持ちに正直であることを
大切にする私とは、反発し合うことが多かった。

でも、私は自分の中で不思議なことが起きる
ことに気づいた。
私は母の考え方を毛嫌いしているが、
時々、母と同じように考えている自分を自覚するのだ。
つまり、他人の期待に応えられる立派な良い人
でない自分は、悪い人間だと感じて
自分のことを責めているのだ。

こういう風に、自分の中に相容れない考えが
存在すると、心の不協和が起こり、苦しくなる。
素のままでよいと思っている自分と、
他人の期待に応じれる立派で良い人間
でなければいけないと思う自分が両方いて、
心の中で綱引きを始めてしまうのだ。
そういう心の矛盾を持つ自分のことが嫌で、
自分を責め始めると、非常に苦しい状態になる。

相反する2人の自分たちの勢力は、
時には一方が強くなり、別の時にはもう一方が力を出す。
時間的な割合では、自分の気持ちに正直でいたい時が80%。
他人の期待に応えて良い人間でなければ
と思ってしまう時は、20%くらいだろうか。
この20パーセントというのは、
間違いなく、私が子供の頃に、
母親から刷り込まれた観念によるものだ。

心の中の不協和や葛藤で苦しみ、
矛盾している自分を嫌だと思うことは
私の人生の中で長い間続けられた。

しかし、最近は、自分の気持ちで正直でいる
ありのままの自分が好きな私もよし。
時には、他人の期待に応えたい
と思ってしまう自分もよし、
と相反する自分を両方受け入れられるようになった。
相反してはいるが、どちらも私なんだと思う。
そうできるようになってから、
私の心の内も大分落ち着いた。

他人の期待に応えたい自分は、
自分の中では小さな部分ではあるが、
おそらく、これは消えることがないだろう。
この小さな部分は、母から貰ったものであり
嫌だと思うことはしばしばあるが、
やはり、私の一部として、私の中に残っている。
こう考えると、親から受けた影響は
大人になってもかなり大きく、強いものだ
と感じるのだ。