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苦しかったら逃げてもいいんだよ。逃げるのは悪いことではない

「逃げること」を否定的に
捉える人は多い。
逃げることは、
何かを途中で止めてしまうこと。
やってはいけないことだ、
と思い込んでいる人は沢山いる。
与えられた環境内で、どんなに苦しくても、
歯を食いしばって頑張ることが
美徳だとされる日本社会。
でも、それは本当に正しいのだろうか?
私はそうは思わない。

「逃げること」が、なぜ、悪くないのか?
なぜ、逃げた方が良いのか?
を考えてみたい。

新卒で就職した会社が肌に合わない。
不得意な分野の仕事ばかりを
させられて、毎日がシンドイ。
辛くて苦しいけれど、
自分で決めて入った会社なのだから、
我慢してでも、頑張って働く。
弱音を吐いて、転職など考えれば、
それは恥ずかしいこと。みっともないこと。
人生の負け組のようなもの….。

面白そうで始めた習い事だが、
やってみたら、自分には不向きだと分かった。
止めて他のことをやりたいけれど、
お母さんにはこう言われて、叱られた。
「最後までやり遂げなさい!」と。
ツマラナイし、やる気は出ない。
でも、始めたからには、ある程度
継続できなければ、自分は情けない人間だ。
我慢してでも、やり続けるしかないんだ。

このようなことを言う人に、
何度お目にかかったか分からない。
特に日本人にはこういう人が多い。
おそらく、私達日本人の多くは、
小さな子供の頃から、家庭や学校で、
「やり始めたら、
最後までやらなければダメ。
途中で止めることは情けないことだ」
という不当な信念を
刷り込まれてきたのだろう。
だから、ムリしてまで、
合わない会社でずっと働いていたり、
自分には不向きだと分かっても、
やりたくないのを我慢して
続ける人が多いのだろう。

どんな人間でも、向き不向きがある。
得意分野と不得意分野がある。
一見、自分には向いているように思えても、
実際にやってみなければ、
それが本当に自分に合っているか分からない。

自分に不向きな仕事をしていたり、
自分には合わない環境で生活していれば、
自分の能力や資質を最大限に活かせない。
自分には大きな可能性があるにもかかわらず、
それを見ることができなくなる。
それどころか、自分はダメな人間だ。
できない人間だ、というような
自分自身について間違った
思い込みを自分の中に植え付けて
自分を破壊してゆくことになる。
自分に自信が持てずに、自分の可能性を
拓くような挑戦をすることなく、
合わない環境の中で、
ただツライ、苦しいを経験するだけ。
残念な人生を歩むことになるだろう。

もし、あなたが水の中でしか生きられない
魚だと仮定してみよう。
そんなあなたが山に興味があるから、
山に住もうと決断した。
でも、実際に住んでみたら、
直ぐに自分には合わないことが分かる。
水の中にいれば、ラクに幸せに
生きられるのに、わざわざ水の外に出て
自分に合わない環境で生きようとすれば、
あなたは苦しくなり、不幸になるだけだ。

魚の場合は、最初から水の中が
一番適切だとはっきり分かるが、
私達人間の場合は、自分に合っているか否かは
実際に試してみなければ分からないことが多い。

信念は怖いもので、
一旦自分の中に定着すれば、
それが当然になってしまう。
疑うこともなく、当たり前だと
そのまま受け入れてしまう。
でも、実は、冷静になって考えれば、
多くの人が「当然だ」としていることも、
本当は当然ではない場合もある。
「不適切な場所から逃げること」
「不向きなことを途中で止めること」
これらのことは、悪いことではなく、
実は良いことではないだろうか?

新しいことを始めるのは、
未知の世界に足を踏み入れるのと似ている。
入る前にある程度想像はついても、
実際に入ってみなければ、
そこがどんな所であるか、
本当の意味では理解できない。

人間は分からないもの、見えないもの、
未知のものに対して、
恐怖心を抱く生き物だ。
できれば、今まで通りに
続けてゆくことの方が
ラクであると思える。
今いる環境を捨てて、
新しい環境に飛び込んでゆくこと、
今までやっていたことを止めて、
新しいことを始めることは、
非常に勇気が要ることだ。

新しいことに挑戦することで、
自分にとっての新しい可能性を発見できる。
逆に挑戦しなければ、
自分にとっての可能性を
見つけることもできなくなる。

私は日本の実家に居場所を
見つけられなくて、
海外に逃げてきた人間だ。
日本を離れてから、早くも30年が過ぎた。
ニュージーランドに移住を決めた時、
私は色々な人々に色々なことを言われた。
言われたことの90パーセントは
ネガティブなコメントばかりで、
私を批判するようなものが多かった。

でも、今になってはっきり言えることは、
逃げて良かったと思えること。
もし、あのまま私が日本にいて、
両親と近くに住んでいたら、
私は今、どうなっていただろうか?
考えただけでもゾッとする。
おそらく、私はダメな人間になって
壊れていたのではないかと思う。
私に対して人格否定をする言葉を
毎日投げかける母親の近くにいれば、
私は「自分は落ちこぼれ人間だ」と思い込み、
自己肯定感が非常に低く、
自分に対して自信が持てなかっただろう。
惨めで情けない気持ちで
生き続けることになっただろう。
生きることがツラくて、
今まで生きてこれなかったかもしれない。
そんな状況下で、無理に無理を重ねて、
不幸な気持ちで生きても、何も良いことはない。

幸い、私はそんな環境から身を引いて、
今いるところに逃げてきた。
ここには私を大切にしてくれる人がいる。
私にとって生きやすい環境だ。
今の私は自分のやりたいことを
好き勝手にやって楽しんでいる。
こんな私でも受け入れてくれる人がいると知り、
私は安心して、ほっとした気持ちで生きている。
私にとっては、心の平安はとても大切なもの。
母親の近くにいれば、絶対に得ることはできない
ことだと思っている。

自分自身が「逃げてきて良かった」
と心の底から感じているので、
昔の私と同じように、
辛くて苦しい環境にいる人たちがいれば、
「そんな環境からサッサと身を引いて、
自分に合ったところへ行った方がいいよ」
という気持ちになる。

「逃げること」は弱さではない。
むしろ、自分で自分の道を切り拓ける強さ、
勇気の証だと思っている。
今いるツライ環境にオサラバして、
新しい世界に足を踏み入れるために、
行動することは、非常に勇気が要る、
素晴らしいことだと思っている。