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諦めてから、一段上のステージに上がれたような気がする

「諦める」と言えば、
ギブアップとか、断念とか、
マイナスのイメージがある。
自分が願っていたことが叶わず、
残念だけれど、それへの思いを断ち切る
というような文脈で使われる。

しかし、「諦める」の本来の意味は、
これとは全く違って、
「明らかに真実を観る」
ということらしい。
色々観察して、真相をはっきりさせ、
もっと賢く物事を理解することだ。

本来の意味の「諦める」を
私は両親との人間関係を通して
学んだような気がする。
諦めることができたから、
自分の人生のステージが一段高くなり、
より良い方向に進んでいる
と実感している。

今回の話は私自身の体験談。
両親との人間関係を諦めることで、
私にとって何が良かったのか?
お話してみたい。

両親との険悪な人間関係は、
私が子供の頃から、成人した後も、
長い間ずっと続いていた。
私にとって両親との人間関係は
今世の人生の大きな課題の一つだ。

子供の頃、父から受けた暴力や、
母から受けた言葉の暴力を思い出せば、
今でも嫌な感情が私の中にこみ上げてくる。
両親のことを忌み嫌い、
両親からは遠く離れた外国に移住して、
彼らとはほとんど接触がないのに、
私の中ではドロドロとした怒りの感情が消えず、
長い間ずっと私は悩み苦しみ続けてきた。

親のことを酷く嫌っているのにもかかわらず、
親に対する淡い期待のようなものもあった。
親が私のことを分かってくれて、
理解してくれれば、どんなによいことだろうか。
私が望むような親でいてくれれば、
どんなに素晴らしいことだろうか。
と夢見たこともあった。
実際の親の姿と、私が望む親の姿が
あまりにも大きくかけ離れていて、
失望することもあった。
それでも、親に対する期待は、
長年私の心の中に潜んでいた。

しかし、数年前、
「両親との人間関係は、もういいや」
と諦められる時が来た。
両親に対して色々期待したところで、
裏切られるだけで、何も良いことはない。
「もう、どうでもいいや。
両親に分かって貰えなくてもいい。
理解して貰えなくてもいい。
自分がこうして欲しいと願うことを
して貰えなくてもいい」
と心底思えるようになった。

両親を恨みながらも、
心のどこかでは淡い期待があり、
両親に大きく執着していた頃の私と、
「もう、両親には期待しない」
とすっかり諦められた後の私とでは、
私の心の中で大きな変化が見られた。

その大きな変化というのは、
私自身の視点が変わったことだ。
諦められなかった頃の私は、
常に自分中心に考えていた。
「両親が私に対して酷いことをした。
私は悲しい。悔しい。腹立たしい」
とネガティブ感情に飲み込まれてしまい、
主観的にしか物事を観れなかった。

しかし、「もういいや」と諦められた後には、
自分の視点だけではなく、
「親の立場ではどうだったのか?」
と親の視点に立ち
親子関係を自分からは少し離れた場所で
客観視できるようになった。
冷静な気持ちで物事を
俯瞰できるようになったということだ。

ネガティブ感情に支配されて、
主観的にしか判断できない時には、
全く見えなかったものが、
見えるようになってきた。
今までは考えもしなかったことが
自分の視界に入ってくれば、
より正しく判断できる。
自分中心の偏りから抜けて、
もっと公平な目で様々なことを
観れるようになった。
自分の視野が広がったということだ。

今考えても、親が私にしてきたことは、
良いことだったとは思えない。
親がしたことが
私に大きなダメージを与えたのも確かだ。
しかし、親は親なりに、
彼らの力の限り一生懸命頑張った。
もっと望ましいことを私に対してできなかったのは、
彼らが未熟だったから、仕方なかったのだ。

身体は大人になっても、
精神的には幼稚で成熟していない親だ。
私の親がこのようになったのは、
彼らなりに色々な事情がある。
私の親も子供時代に大変な経験をして、
子供らしく生きることができなかった。
満たされた子供時代を送っていない。
だから、大人になってからも、
精神的な器が非常に小さくて、
子供に対して望ましい行いができなかった。
自分たちが生きるので精一杯だから、
子供であった私の気持ちを汲んで、
愛情ある優しい態度では接しられなかった。

残念と言えば、残念だけれど、
これは仕方のないことだ。
「しょうがなかった」
と諦めるしかない。
自分の視点だけでなく、
親の視点ではどうだったか?
自分自身から少し離れて、
いろいろなことを客観的に考えた時、
「仕方なかったんだ。しょうがないんだ」
ということが分かった。

仕方なかったこと、
しょうがなかったことに対して、
執着を捨て、それ以上は期待をしないこと。
これが私が意味するところの「諦める」だ。
広い視点で色々観察してみて、
冷静になり俯瞰した時に
「もういいや」と諦めがついた。

諦めたことで
自分が一段上のステージに上がれた
と実感することもできた。
具体的に、諦める前と諦めた後では
私の何が変わったのか?

諦められない頃には、
私は昔の出来事を
何度も何度も掘り返して、
そのたびに怒りの感情を燃やし、
勝手に嫌な気分になっていた。
遠く離れた海外に住み、
両親が自分の目の前にいるわけではないのに、
昔のことを思い出して、
ネガティブ感情に襲われて、
自分自身を苦しめていた。

諦められた後には、
昔していたように
親との嫌な思い出を振り返って、
嫌な感情に飲み込まれることも
すっかりなくなった。
それよりも、自分にとって大切なことが
見えだしてきた。
そして、その大切なことに集中して、
ポジティブな気持ちで生活できるようになった。

「諦める」と聞けば、
確かにあまり良い響きはしない。
しかし、私の場合、両親との人間関係において、
諦めることは、私を良い方向へ導いてくれ、
私の幸せ度もかなり上がってきた
と実感している。
諦めることは、必ずしも悪いことではない。